どこの国のどの地方にも地元っ子の目の色が変わるような名物郷土料理があると思う。
イタリアのエミリア地方ではニョッコ・フリットがそれにあたる。
ニョッコ・フリットとは何か?
ニョッコ・フリット(Gnocco fritto)とは、モデナとレッジョ・エミリアの名物料理。薄い揚げパンで、生ハムやサラミ、チーズなどと一緒に食べるものだが、とにかく、エミリア地方の人はニョッコ・フリットと言うと皆急に顔が明るくなる程だ。
個人的な好みで言うと、この炭水化物と動物性タンパク質と油脂で構成され、野菜のかけらも無いスナック的な食べ物を「ものすごく美味しい!」と思ったことはない。これはエミリア地方の人達には口が裂けても言えない。。。。
でも子供の頃から食べていたら病み付きになるのは理解可能で、ストリートフードとしても食卓に乗せてもお祭り気分になる「楽しい」食べ物であることに間違いはない。
ニョッコ・フリット(Gnocco fritto)と言う名前は特にモデナとレッジョ・エミリアで使われ、レッジョ・エミリアの北に隣接するパルマでは同じものをトルタ・フリッタ(Torta fritta)と呼び、モデナの南に隣接するボローニャではクレシェンティーナ(Crescentina)と呼ぶ。ピアチェンツァやフェッラーラでも別の呼び方があるらしい。
パルマ、レッジョ・エミリア、モデナ、ボローニャはいずれもエミリア・ロマーニャ州のエミリア地方になるが、アドリア海側のロマーニャ地方ではピアディーナ・フリッタ(Piadina fritta)と呼ぶと聞いた事がある。が、エミリア地方の人に言わせると、そんなものは「紛い物」だという。
現在のイタリアの州の分割ではエミリア地方とロマーニャ地方と同じエミリア・ロマーニャ州に属していてもエミリア地方とロマーニャ地方ではメンタリティーも微妙に対抗意識があるのだ。
北5県ピアチェンツァ(Piacenza)、パルマ(Parma)、レッジョエミリア(Reggio Emilia)、モデナ(Modena)、ボローニャ( Bologna)、フェッラーラ(Ferrara )がエミリア地方
南3県アドリア海側のラヴェンナ(Ravenna)、フォルリ-チェゼーナ(Forlì-Cesena)、リミニ(Rimini)がロマーニャ地方
4月25日のイタリア解放記念日とエミリア地方の人たちに関してはレシピの後に
<材料> 約30個分
・薄力粉 200g
・強力粉 150g
・牛乳 50g
・温水 50g
・ラード 35g
・ビール酵母 4g
・砂糖 ひとつまみ
・塩 ひとつまみ
・揚げ油 ラード 2kg または ピーナッツオイル 1lt
<作り方>
1・小さめのボウルに室温の水10gと牛乳10gを注ぎ、ほぐしたビール酵母を加えて完全に溶けるまで混ぜます。
2・大きなボウルに二種の小麦粉と柔らかくしたラードを入れて混ぜます。始めはフォークで混ぜ、小麦粉に空気が触れるようにします。
3・2に1を注ぎ、よく混ぜ、残りの水と牛乳を少しずつ加えます。
4・概ね液体が吸収されたら、ひとつまみの砂糖を加えて手でこね続けます。
5・最後に、ひとつまみの塩を加えて再度こねて作業台に移し、約 5 ~ 10 分間練り続けます。
生地は弾力がありすぎても柔らかすぎてもだめ。
6・練り終わったらボール状に丸めてラップでまたは固く絞った布巾で覆い、暖かく湿気のある場所で約 1 時間半放置して発酵させます。
7・発酵時間が経過したら、生地を2~3つに分け、軽く小麦粉をふった台の上で、約2mmの厚さになるまで伸ばします。
慣れた手つきでのし棒で生地を伸ばすボローニャ出身のチェーザレ
パスタマシーンで生地を伸ばすレッジョ・エミリア出身のキアラ
8・7を概ね一口大に切って後はひたすら熱したラードまたは油で揚げ続け、
熱々をサラミやチーズなどと一緒にいただきます。
揚げ物は庭にセッティングした電気コンロで(室内だと部屋が汚れるから)揚げ物をする。去年はキアラが担当、今年は娘のアダが担当
*ワインはランブルスコ(lambrusco)、と呼ばれるこの地方の発泡赤ワインがよく合います。
ランブルスコは別名「貧乏人のシャンパン」とも呼ばれ比較的安価なスパークリングワイン。特に赤が中心なのでニョッコ・フリットの過剰な脂肪分を分解してくれる感じがします。
生ハムとモルタデッラハムを持った大皿
レストランだとニョッコ・フリットと生ハム類は
同じ皿に盛ってサーブされるのが普通
Photo ©Jessica Spengler
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4月25日のイタリア解放記念日とエミリア地方の人たち
解放記念日とは日本で言う終戦記念日だが、アメリカに無条件降伏し「敗戦した」という認識の日本とは異なり、イタリアでは反ナチスドイツ、反ファシズムのパルチザンが勝利しイタリアを全体主義から解放した、つまりイタリア人自身が自由を勝ち取ったと言う認識が強い。
昨年に続いて今年の4月25日解放記念日も90年代に仕事をしていた元ボスのデニスのところでランチがあった。
昔デザイン事務所として使っていた広いロフトは今では自宅事務所になっている。昔皆でランチを食べた庭は、キアラのケアでさまざまな植物が植えられ素敵になっている。
広いロフトは半々、デニスと親友のカメラマンのミロで分けているので、このランチはミロの家族(離婚しているので正確には元家族だが、良い関係を保っていて元妻のエミと娘二人も参加)そこに親の世代の友人や子供世代の恋人達、今年はエミの97歳ののお母さんも加わり、年齢層は20代から90代までと広かった。そんな風に老若集まってもヒエラルキー無く皆が違和感無く楽しめるのがイタリアのこういう集まりの良いところ。
デニス、ミロ、キアラはどちらもレッジョ・エミリア出身。エミリア地方の人はザックバランでフレンドリーな人が多く、また独創的で発明家を多く輩出した地方でもある。
デニスもミロもキアラも例に漏れない。
だからイタリアに来て初めの頃は仕事関連で知り合う人の大半がエミリア地方の人だった。
仕事外では最初の年は、在ミラノの日本人の友達ばかりができた。
翌年はオランダ人、韓国人、フランス人、ドイツ人などの外国人の友達が、3年目にイタリア人でも南出身の人達がそこにエントリーし、比較的閉鎖的と言われるミラノっ子の友達ができ始めたのは5年目くらいだったので、初めの10年くらいはミラノに住んでいても自分のことをミラノ人とは思えず、どちらかと言うとエミリア人の養子になったような気分でいた。
だから今でもデニスとキアラのところにお呼ばれする時、「行く」と言うより、古巣に「戻る」と言う感じで、懐かしく嬉しい。
この会食では売れっ子イラストレーターのオリンピアのお菓子のレシピも仕入れたので、またご紹介します。
下の写真は昔皆でランチを食べた庭。
とてもミラノとは思えない環境で小さなエミリアと呼んでいた。
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