2023年12月30日土曜日

ステフィーのカプリーノ・クリームとディスコ・プラスティックとミラノの年越し

 

ステフィーのクリームはごく簡単だけどとても美味しい。

こんなシンプルに三つの食材をただ混ぜただけ。3分でできるのに、必ず

「美味しい。どうやって作ったの?」と聞かれる。


ステフィーがこれを作ったのは、確かあの年越しの時だったと思う。


ステフィーのカプリーノ・クリームとディスコ・プラスティックとミラノの年越しの話はレシピの後に


材料写真


<材料>

・カプリーノチーズ 1本


・良質のエキスラヴァージンオリーブオイル 適量


・にんにく 1カケ


・パン(フランスパン、クラッカーなど)適量



<作り方>




1・カプリーノチーズにガーリックプレスで潰したニンニクを加える。

*ガーリックプレスがない場合は、薬味用のおろしでおろしても良い。







2・1に良質のエキスラヴァージン オリーブオイルを適量加えてよく混ぜる。







3・小さめの器に盛り付けて、スライスして軽くトーストしたフランスパンやクラッカーなどに塗っていただきます。




完成写真


器はバカラのアールデコ期のモデル「シャルム」

http://galleria-kajorica.blogspot.it/2016/01/baccarat-charmes.html




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ステフィーのカプリーノ・クリームとディスコ・プラスティックとミラノの年越し


ステフィーはパートナーと屋台のみで店舗を持たないアンティーク商をしていた。彼女はいつもシックにオシャレで天鵞絨のコートがよく似合っていたのを憶えている。

すこし枯れた感じの彼とはちょっと不釣り合いに見えた。


ステフィーカップルと時々会っていたのは30年近く前のこと。彼女らは当時私が勤めていた事務所の秘書の友人で、大勢で出かけたり食事会をしたりした時期があった。でも正直少々陰が薄く、今思い出しながら文章をかいていても何か忘れていた友情が蘇り暖かい気持ちになるような感覚は全くない。

多分、今道ですれ違ってももうわからない。単に付き合いが浅かったということなのだ。


だからこのレシピをもらわなかったら、「ステフィーのクリーム」と名付けたそのレシピをレシピ帳に保管しなかったら、彼女のことを思い出すこともなかったのではないかとさえ思う。そしてそのステフィーの印象とは裏腹にインパクトが強かったのは彼女の両親だった。


***


ステフィーの両親はどちらもブレラ美術学校出身のアーティスト。


お母さんはちょっと魔女のような雰囲気だけど、ステフィーの友達が夜中の3時にいたずら半分でベルを鳴らしても怒らず、「何よあなた達・・・こんな時間に・・・コーヒーでも飲んでいく?」などと言えてしまう太っ腹だ。


学生時代自分が隠れてしまうほどの黄色いマーガレットの花束を持ってお父さんに愛の告白をした時のことなどドラマチックに、面白おかしく話してくれたりもする。


何より強烈だったのは住んでいる家。


二階建ての建物の二階全部がステフィーの両親の住宅兼アトリエだったが、その建物の1階部分はすべて「プラスティック」という有名なディスコだった。

https://it.wikipedia.org/wiki/Plastic_(locale)


「プラスティック」は今は別の場所に移転してしまったが、当時ウンブリア大通りと3月22日大通りの交差点にあり、ミラノで一番派手でクレージーな人たちの通うディスコという定評だった。



当時のディスコ プラスティックの看板


かのクイーンのフレディー・マーキュリーやマドンナ、エルトン・ジョンなども常連だったそうでミラノに来た際にはこのディスコに出入りしたのは有名な話。今、ウィキペディアを読むと「プラスティック」に行くためわざわざ飛行機で飛んできたなどと書いてあるけど、、それは本当かなぁ。。。


アメリカの都市部のゲイ・クラブシーンで知られる様になったヴォーギングをいち早く取り入れ、入店する際の服装チェックをミラノで最初に取り入れたディスコとも言われている。


でもカッコよくないと入れてもらえない昨今のおしゃれなディスコの服装チェックと違い「プラスティック」は「個性的」でないと入れてくれなかったのがその特殊性。


私は一度だけ友達グループと個人宅でのパーティーの後なだれ込んだことがあるが、あまりいい思い出ではない。もともとディスコは好きじゃないし。。。


もちろん音楽の音量も半端でない。ガンガンガン、どんどんどんという感じのメロディーのないディスコ音楽が早い時間から深夜まで、おそらく明け方まで毎日続く。音だけでなくて振動もジンジンジン、どんどんどんと足元から響いてくる。


そんな家にステフィーのご両親は全く普通に暮らしていた。


一度その家での年越し大ディナーに参加したことがあった。

朧な記憶では小学校の教室よりやや小さいくらいの広いサロンにいくつもの円卓を置き、かなり大勢だったと記憶している。ステファニアの友達と過激な両親の友人達が集まった。食べ物は一人一品作っていく持ち寄り形式。


私がスモークサーモンの押し寿司を作って行ったら、他に鮭料理を作って来た女性が文句を言っていた。別に競争するつもりなんてないし、どちらもサーモンを使っているというだけで競争になるようなアイテムでもないのに。。。


***


イタリアでのCapodoanno (カポダンノ=お正月)は一般的に元旦に新年を恭しく祝うのではなく「年越しに」つまり夜半をどう過ごすかに重点が置かれる。


友人たちと集まる場合、遅めの時間にディナーを始め食べ終わってリラックスしてほっと一段落した頃が夜半になるよう時間を調節、あの晩は確か9時集合だった。


一応皆ドレスアップする。赤い服か赤い小物を身につけると新年のラッキーチャームとされている。恋人にプレゼントされた赤い下着か靴下を年越しに身につけていたら、その女性は幸せになるとか、新年に結婚するとか言われている。



アルマーニ・カーザのミラノ本店のショーウインドー2023年12月



ちょうど夜半にスプマンテかシャンパンの栓を抜き「アウグーリ」(おめでとう)と言い合い抱き合ったり頬にキスしたりするけれど、その時に気をつけなければいけないのは年が明けて最初にキスする人は異性でなければいけないことになっている。それもまたラッキーチャームなのだそうだ。


普通なら新年の夜半を過ぎるとあちこちで花火を打ち上げる人達がいるのでそれを観賞する。どこの家で新年を迎えても夜半に乾杯し。頬にキスをしあって祝った後は窓際に集まったり、テラスやバルコニーに出たりしてあちこちで打ち上げられる花火を見る、というのがおきまりのパターン。南のナポリなどでは花火は明け方まで続くそうだが、ミラノは概ね30分か長い時でも45分くらいで終わってしまう。


そして花火もひと段落して、スプマンテも飲みきった1時か2時くらいに解散して家に帰るというのが平均的。


でもステフィーの実家での年越しの時だけは花火鑑賞はなしで、階下のディスコ・プラスティックの音楽と振動がガンガンガン、どんどんどん、ジンジンジンと一層大きくなってくるのに年が明けたのだと実感した。



2023年12月23日土曜日

クリスマス・イン・パリのバイオリンとフランシスの本格ポトフ


クリスマスなので冬のお肉のレシピをひとつ。

有名なフランス大衆料理のポ・ト・フ


20年以上前の事、フランスの家庭でクリスマスを過ごしたことがあります。


クリスマスの当日のご馳走は何故か覚えていないのに、友人の夫フランシスがパリの彼らの家で作ってくれた見事に大胆な調理法のポトフはいまだに目に鮮やかに焼き付いています。


ポ・ト・フは大衆料理の常で地方や人により作り方は無数あるけれど、この作り方が最も大胆で、かつ簡単で美味しく、理にかなった料理法だと思います。


ポ・ト・フ=Pot au feu、その名の通り鍋を火にかけ、とろ火で長時間煮るので時間はかかりますが、手間はかからなく見栄えのよい料理です。


クリスマス・イン・パリのバイオリンとポ・ト・フの話はレシピの後に 

長文ですのでお時間のある時に


では皆様、メリークリスマス!


*****


ポ・ト・フ 材料写真



<材料> 3-4人分


・牛肉かたまり 約500g. 


*日本のポトフのレシピを見ると多くの人がウインナーソーセージで作っていて驚きます。

ポトフどころかフランス料理でさえありません。

本場フランスでは牛肉を使います。とろ火で長時間野菜と一緒に柔らかく煮込んだ牛肉をポトフと呼びます。輸入牛肉でも良いので是非牛肉で試してください。

実は私も普段は牛肉はほとんど食べませんが「ポトフだけは」牛肉を使います。


*ちなみに鶏肉を同様に調理したものはプール・オ・ポ (poule au pot) と呼ばれ、ポトフとは呼びません。



・ポッロネギ なければ 長ネギ  2本


・人参   2本


・セロリアック 1個半


・イタリアンパセリ    1つかみ


*玉ねぎを入れても良。

*ジャガイモはスープが濁るので入れないか、別に煮る人が多いのです




<調味料>


・塩


・胡椒



<作り方>




1・牛肉の塊は前日でも購入したらすぐに塩胡椒しておく。








2・人参は皮をむくだけで切らない。

(写真は今回少人数分だったので1本半分に切りましたが、煮込んで柔らかくなるので切る必要はありません。)






3・ボロネギ(長ネギ)は10-12cm位のぶつ切りにする。縦には割らない。






4・セロリアック 小さければ4分の1、大きければ8分の1くらいに切る。


*写真ではセロリアック1個とセロリ1本使っています。

味は似ていますが、セロリよりはセロリアックの方がホクホクに仕上がるので絶対お勧めです。













5・上記三種の野菜を鍋に入れ野菜は軽く塩胡椒します。








6・野菜の上面が2cmくらい水から出る程度のレベルまで冷水を入れ火にかける。








7・野菜の上に水に触れないようた牛肉の塊を置き、肉の塊の上にイタリアンセロリの束を一掴み茎ごとそのまま置いて蓋をして極弱火で3時間煮る。


*ここが最大のポイント



通常フランスではポトフは肉を水から煮る方法、沸騰してから入れる方法の二つに分かれると言われています。中間の半分水から煮沸騰してからもう半分入れる方法があると言われています。


肉を水から煮ると良いスープが取れますが肉の味は落ちます。反対に沸騰してから入れるとスープの味は落ちますが肉は美味しく仕上がります。


フランシス流のこの方法だと沸騰した時点で牛肉は蒸気で蒸され、野菜に火が通って崩れて来ると牛肉が沸騰したスープの中に徐々に没して煮られることになります。


大衆料理の常で地方や人により作り方は無数あるポ・ト・フですが、この作り方が最も大胆で簡単、美味しくて理にかなった料理法だと思います。





8・約3時間後スープの中にほぼ陥没した牛肉。








<頂き方>


通常フランスでは煮汁をスープとして先にいただいた後、具をメインディッシュとします。


肉と野菜は大皿に盛り、切り分けて、好みでマスタードをつけていただきます。



スープは具と分けてスターターとしていただきます。

今回はイタリアではノーチェと呼ばれる上腿の肉を使いましたが、

アクを取らずにとびきり美味しいスープができました。



スターターの後メインディシュのポ・ト・フをいただきます。

大皿の中央にお肉を盛り、周りに野菜を盛り付けます。

煮時間は3時間ですが準備は15分以下でできます。



マスタードは是非ディジョン製を。

ディジョンはフランシスの出身地でマスタードで有名。




石造の建物と木の構造が見える作りの家が混じるディジョンの街並み




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クリスマス・イン・パリのバイオリンとフランシスの本格 ポ・ト・フ



「今年はクリスマス・イン・パリなんてどう?」とフランシスが私をクリスマスに招待してくれたのは、多分その時疎外された気分で退屈していたからだと思う。


その年の秋私たちは、彼の妻で私の友人のデザイナーのミラノでの個展のオープニングの後に、ギャラリー近くのベネト料理(ヴェネツィアのある地方)のレストランで遅い夕食をとっていた。


彼らの一人娘はレストランを走り回っていたずらを重ね、ぶっきらぼうで有名なレストランの店主を怒らせていた。


当時既に有名デザイナーになっていた友人は私の元ボスと熱心にイタリア語で話し込んでいた。二人は昔彼女が事務所でインターンをしていた時代から波長がぴったりなのだ。


フランスのディジョン生まれのインテリのフランシスは英語は流暢だけれどイタリア語は片言しか喋れない。だから多分あの時一人取り残された気分だったのだろう。


当時イタリアに来て12年程度だったので、まだ「日本人度」の高かった私はちょっと遠慮がちに「そんな特別な時期に本当にいいの?」みたいな返事をしたと思う。今なら遠慮なく快諾する。


そんなこんなで、その年のクリスマスはパリに行くことに決まった。


まずはお土産の用意。特別な時期に1週間以上もお邪魔するのだからそれなりのものを考えなければいけない。


クリスマスのミラノからのお土産はイタリア国内でもパネットーネが喜ばれる。


国外ではパネットーネは「イタリアのクリスマスのお菓子」ということになっているが、イタリア国内ではパネットーネは「ミラノが本場」という認識なので、イタリアの地方の友人の家にクリスマスにお呼ばれした時は工業製品ではない、ちゃんとしたパティシェの「ミラノのパネットーネ」はとても喜ばれる。


そこでミラノの老舗パティシェの「ガットゥッロ」(Gattullo)の2kgの大型なパネットーネを購入。ガットゥーロのパネットーネは甘み控えめで、当時の私のパネットーネランキングNo.1だった。



ガットゥッロ の パネットーネ

https://www.gattullo.it/panettoni-artigianali-con-lievito-madre-lievitazione-naturale/



今ならタミーが教えてくれたヴァレーゼの「ゲッツィ」のが一番美味しいと思うが、ゲッツィのでは「ミラノ」のパネットーネではなくなってしまう。


それから以前友人がミラノ滞在中に好きだった南イタリア、プーリア地方の食材店で、タラッリやドライトマトのオイル漬けなど色々を購入。まあ大人向けにはそんなものでいいのでは、と。


一番頭を悩ませたのは子供へのお土産。クリスマスなのだからそれなりのプレゼントが必要だ。


特に小さい子供は楽しみにしているはず。いろいろ考えた挙句、昔友人が「ピアノの弾ける人が羨ましい、子供の頃習えなかったから」と言っていたのを思い出した。彼女は農家出身だった。


そこで楽器を贈ることに決める。まさかピアノは持っていけないのでバイオリンなんて素敵では、と思った。


ミラノにはコンセルバトリオと呼ばれる名門音楽学校がある。


そのコンセルバトリオ、ジュゼッペ・ヴェルディ音楽院近くにある有名な楽器店ボゾーニに出かける。



楽器店ボゾーニ 2021年に53年の歴史を閉じた、と今知った。残念。



「3歳くらいの子供用のバイオリンありますか?」と、慣れない環境に若干臆しながら尋ねる。上品な中年の店主らしき人物が、極めてシリアスな表情で「どちらの先生について学んでいるのですか?」と。予想していなかった質問に慌てる私。。。「いえ、まだ先生にはついていなくて、その子はパリに住んでて。。。多分バイオリンを学びたいだろうかと、、、クリスマスプレゼントにどうかと思い。。。」と返事がしどろもどろになる。


そしておもちゃではなく、立派な、多分子供に音楽英才教育を受けさせたいと思っている家庭が買って与えるような子供用バイオリンを購入し家に帰る。

それなりに高額だったけどクリスマス・イン・パリも滅多にないから良しとしよう。


家に帰ってから、ちょっと試してみようとケースから取り出して、、、、ショック。。。音が出ない。。。汗。そうバイオリンというのはギターなどと違ってそんな簡単にいい音の出せる楽器ではないのだった。


せめてドレミファソラシドくらい音が出せて使い方を子供に教えてあげられたらいいと思ったが、オペラ歌手になるべく声楽を勉強していた親しい友人はもう日本に引き上げてしまっていたし、当時ほかにバイオリンを弾けそうな友人は思い浮かばなかった。


よほど、地下鉄や大道で小銭を儲けるためにバイオリンを弾いているジプシーにでも教わりに行こうかと思ったが勇気がなかった。


そして鳴らない子供用バイオリンと巨大なパネットーネ、その他諸々のイタリア特産食品を持ってパリへと旅立つ。






写真のバイオリンは有名なストラディヴァリでプレゼントした品ではありません。


***


パリの中華街に近い地上3階地下1階の大きなロフトに一家は住んでいて地上階の半分は彼女のスタジオでもう半分は キッチンとリビングルームになっていた。私用の寝室には最上階のテラス付きの明るい部屋を開けておいてくれた。


以前彼らの家に泊まったのはその10年近く前で、当時はバスティーユの2DKのアパートにフランシスと友人と双子のお姉さんと3人で住んでいた。その時もリビングに私の寝床を作るために、ダブルベットに3人で寝てくれた。


私は昼間展覧会などをみて回り、友人は一日中仕事。家事は全て夫のフランシスがこなしていた。そして、よく働く彼女を「大丈夫?疲れてる?」と気遣うのも彼の仕事。完全に男女の役割が逆転していたけれど、それでどちらも自然体なのだから良い。彼はもともとギャラリーの共同経営をしていたので、仕事上の彼女のマネージャーも兼ねる。


24日から26日までだけシャンパーニュ地方にある友人の実家に移動。

シャンパーニュ地方はシャンパンの産地で有名なパリの北東。


イタリアではクリスマスイブの夕食は海鮮料理を、クリスマス当日25日はお肉を中心としたランチをするのが普通だが、フランスのクリスマスイブは普通の食事で少し驚いた。


25日の朝、村を散歩してみた。お店が一件もない小さな村。

それでも流石フランス。祝日のクリスマスの朝でさえ、小さな白いトラックがバゲットとクロワッサンを売りに来る。


友人の両親は二人ともこの村で育った幼馴染なのだそうだ。


昔彼女がインターンだった頃お母さんから送られてきた手紙に鮮やかな色のパンジーの押し花がはさまれていたことを想い出した。そんなロマンチックなものを送ってくれるお母さんを少し羨ましく思ったのをよく覚えている。


25日の昼食はお肉を中心としたゴージャズなランチで、イタリアならば大半の家庭ではこのランチでクリスマス行事は終了する。私は気が緩んだのとおなかいっぱいで2階の寝室で昼寝をしてしまった。ところが驚いたことにフランスではクリスマスの食事は夜まで続く。

知らなかった。


イブに特別な食事をしない分25日の夜はゴージャズな海鮮料理だった。 夕方、昼寝から起きまだランチを消化しきれていない胃袋を抱えて下階に降りるとお兄さんが忙しそうに夕食のテーブルセッティングをしている。


そして皆テーブルに着いた時、食べられない物はあるか聞かれ、「甲殻類はアレルギーで食べられない。」と答えると皆一瞬暗い顔をし少し場が緊張したようだった。


食事を始めると貝つくしと言ってもいいほど沢山生のオイスターなどの貝類がテーブルに乗ったが、私に回ってこない。時計回りで大皿が回っていても、私の前だけは飛ばして行ってしまう。不思議に思いながらも自分から手をだすと、「あれ?アレルギーで食べられないのじゃ?」「ダメなのは甲殻類で、貝類は大丈夫。」と言ったら一気に緊張が解け、場が和んだ。


もしも貝が食べられなかったならあの夕食で食べられるものはほとんどなかったと思う。


***


パリに戻ってからも、ほぼずっと彼らのロフトで食事をした。特に美味しくてレシピをもらったのはフランシスの作ってくれた男の料理らしい大胆な本格ポ・ト・フ。


出来上がったポトフを前にレシピを説明してもらう時、フランシスが大皿に乗った具を指差しながらフランス語と英語で野菜の名前を言うのを聞いて、3歳の娘が偉そうに「これでやっと少しはフランス語が覚えられるわね。」と私に言った。。。


彼女にしてみれば私は鳴らない楽器を持ってきた、フランス語も喋れない遊び相手にもならない、つまんない客だったのだろう。


もちろん皆爆笑した。