2023年7月28日金曜日

タマルのイスラエルの夏の簡単前菜とそのバリエーション



長文の前置きのあるレシピ紹介を連投してしまったので、今回は簡単に。


タマルとマウロという親しいグルメカップルがいる。


何度夕食会に呼びあったか数え切れないグルメカップルで、この二人はこの後も多数回登場の予定。


妻のタマルはイスラエル出身でお菓子を作るのが無茶苦茶上手。

(村上春樹の小説1Q84にタマルという名のマッチョな男性が登場しますが、旧約聖書ではタマルは女性名。)

長年、私の誕生日には彼女にバースデーケーキを作ってもらうことに決めている。


夫のマウロは塩っぱいもの担当。つまり食事、つまり前菜、プリモ、セコンドは彼が作る。

当然二人が夕食会をするときはマウロ の仕事量が圧倒的に多い。


二人からもらったレシピはもちろん多数あるが、これは珍しくタマルの塩っぱいものレシピ。

レシピと言っても切っただけでなく、調味料も加えない究極のシンプルさだ。


スイカとギリシャのフェタチーズを切って並べただけでサーブし、各々好きなだけ皿に取って調味料も無しで食べるというものなのだか、フェタチーズの塩味と甘いスイカ取り合わせが良く美味しい。


イスラエルの代表的な夏の前菜なのだそうだ。


西欧では果物に塩という発想はないので、イタリア人グルメ夫マウロは意外な取り合わせが実に良いのだと夕食に同席した私たちに力説していた。


日本ではスイカに塩を少しふって甘味を引き出す食べ方をすると話すと、なるほどアジアだから、、と、中近東と極東を一緒くたにしていた。。。





<材料>


・フェタチーズ  200g の塊で 2 - 4人分 (量はその他に何を用意しているかで加減)


・スイカ(甘いもの)フェタチーズの3倍から4倍のボリューム

 これも好みで加減してください。


・調味料なし



<作り方>


1・二つの食材を適当な大きさに切り、お皿に盛り付け、食卓に運ぶ。



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<バリエーション・1>



昨年アーティストのアンナリータを夕食に呼んだ時に、食材=同じ味の取り合わせでスープ風に仕上げてみた。

スイカをミキサーにかけてスープにし、角に切ったフェタチーズ を乗せてみた。

ミキサーにかけたせいか少しスイカの苦味が出てしまったが、見た目はなかなか可愛い。

ミキサーにかける前にタネを取るのが大変でした。


写真の器はスペインの磁器メーカー、サルガデロスの砂糖入れ、丁度女性用ご飯碗くらいの大きさでフタ付きなのが嬉しい。

サルガデロスの食器はマーケティングという言葉をせせら笑うように独創的で一線を超えたものが多いので大好きなのです。



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<バリエーション・2>


イギリス人デザイナーの友人セバスチャンの奥さんのエマニュエルはスイカ、いちご、ルコラ、細ねぎ、フェタチーズをオリーブオイルとレモンで調味したサラダをインスタグラムに載せていた。

https://www.instagram.com/p/CgV9L0Uj1dF/?img_index=2


セバスチャンはロンドンベースなので奥さんには、彼らがボローニャに住んでいた時に一度しか会った事のない。エマニュエルはフランス人でお料理の先生をしている。

そのためか彼女のインスタグラムは食材写真と出来上がり写真の2枚ので構成されていてレシピは書かれていないので、食材から作り方を想像するしかない。けれど、結構できるものだ。

一捻りある面白いレシピが多いので、ご興味のある方はインスタグラムで”topdelish"をご覧ください。



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<スイカが余ったら>



フェースブックのショートリールで見たスイカのアイスキャンディーというのを試してみました。

なかなか行けます。

それに、スイカを食べすぎなくていいかも。


フェースブックのショートリールではアイスキャンディーのプロボーションの長方形に切ってあったが、こういうナチュラルなのの方が無駄も出なくて良いと思う。

2023年7月20日木曜日

マウリッツィオ・ママのレモンのパスタとミラノ最初のボロアパート

レシピは文末です。



このレシピは我が家の夏の定番メニューになってから30年以上経つ。


食にコンサバで伝統的メニューに独創的な香草一つ加えただけで「この料理にこんなものは入れない!」と目くじらを立てるイタリア人でも(最近は減ったが昔は多かった)大抵は美味しい、興味深い取り合わせだという。


意外な取り合わせで食材一つ一つの味が存分に発揮されるこのプリモは、パスタは茹でるが具は火を通さないので失敗をすることはまずない。そのため来客でその他の料理でてんてこ舞いの時に助かるし、一人食の時でもお鍋、フライパンなどを二つ汚さずに用意できるのも嬉しい。

そして何よりも美味しい。


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1990年代初め頃のミラノは賃貸アパートを見つけるのが難しかった。賃貸物件を持っていない不動産屋も珍しくなかった時代。迂闊にルーズな人に貸すと家賃を踏み倒された挙句に居座られて、立ち退き要請も難しいというイタリア独特の賃貸事情もあり、だったら貸さないほうがいい、口コミで信頼できる人にしか貸さないと考える家の所有者も多かった時代だ。たまに不動産屋で見つかる賃貸物件があっても割高だった。


そんな中で私が初めて長期契約をしたアパートだけは、ミラノ中央駅にほど近い、地の利の良い場所に庶民的な建物を丸ごと五軒所有している大家が、かなり安めに貸してくれていた。


ケチケチ大家のブランビッラ夫人は3ヶ月に1回白い汚れたボロボロの小型車で家賃の徴収にやってきた。冬になると野良犬の毛皮で作ったのではと疑うような汚い毛皮を着込んで、現金で渡す3ヶ月分の家賃を、連れてきた小さい娘の前でお札に唾をつけて数え、あの子はどんな大人になるのだろうと少し心配した。当時薄給で貧乏だった私でさえ「少し自分のためにお金使ったら?」と言ってあげたくなるような人だった。お金なんてヴァーチャルな要素が大きいものだ。派手に使ってしまえば沢山持っていてもなくなってしまうけれど、全く使わなかったら持っていても十分に持っているとは感じない。

元々所有の数棟のアパートは彼女の夫の家系の財産だそうで、夫君は自家用飛行機で遊び歩いていると管理人が話してくれた。ちょっと疑問を持つケチケチ大家も彼女なりに精一杯すべき事をしていたのかも知れない。


この大家の所有の建物はどれも19世紀終わり頃の古い建物で、中央駅から町中心部へ徒歩数分のした下町風情のある通りにあった。当然どの建物にもエレベーターはなかった。安い代わりに、大家は全くなにもしてくれず、前の人が出て行ったままの、汚れた状態で引き継いだ。反面、勝手に手を入れても構造に触らない限り文句は言われなかったので、色々自分で家に手を入れたい人にとっては好都合。必然的に大昔からの店子を除くと大半が若手のアーティスト、建築家、デザイナーだった。


私の棟の屋根裏部屋に住んでいたグラフィックデザイナーのジュゼッペは今ではパリで大きな広告代理店を経営している。中庭にはその後日本でも何度か展覧会をしたアイルランド人画家リチャードのアトリエもあったし、他にメキシコ人とドイツ人アーティストのアトリエもあったと記憶している。同じ番地で別棟の2Kのアパートに住んでいたステファノはアレッシ社のヒット商品のデザインなどで成功して、今ではミラノのトルトーナ地区に「G御殿」と呼ばれる大きな建物を丸々一件所有している。別の番地で同じ大家の店子のティツィアーノもその後10年程度で国際的なファッションブランドのインテリアを手がける有名インテリアデザイナーになった。当時は皆若手で将来を模索していたけれど、そんな環境はいかにも「ミラノに来た」という感じがして結構心地よかった。


それでもそのアパートには2年住んで引っ越した。アパート全体の共通部分がボロボロなだけでなく、特に私のユニットはあまりにも貧相すぎたから。


革命も起きなかったイタリアという国には階級意識が残る。しかも日本みたいに貧しい家の子でも成績さえ良ければ良い就職先が見つかり、場合によっては出世できる、という社会環境ではない。先に書いた当時の近所の住人たちの成功はイタリアではかなり異例な事だ。


住み始めて家に遊びに来る友人知人の反応を見て、最低の家=最低の教育=最低の仕事=最低の収入=最低の暮らし、みたいに繋げて見られるような気がしてきたから。


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このレシピはそのアパートの下階に住んでいた日本人の友人の当時の婚約者、後の夫、そして今は亡き人となってしまったマウリツィオの、おかあさんのレシピだ。


マウリツィオはカンパーニャ地方(南イタリア、ナポリが州都)の出身なので彼のお母さんにはお目にかかったことはないが、このレシピはとても斬新で他のどこかで似た様なものを食べたことは一度もない。


イタリア人は往々にして、自分のお母さんお祖母さんの料理が一番と思い込んでいる。他人の料理法を否定するときに「うちのお母さんはそうはしない。」「うちのお祖母ちゃんはそうはしない。」というのも定番だ。


マウリッツィオも例に漏れず、「ウチの母の作るXXはとても美味しくて、君たちに食べさせてあげられないのが実に残念だ、などと言う話は他人には興味のないことだとわからないの。。」と友人はこぼしていた。


そしてその日本人の友人は「なんでイタリア人と日本人のカップルって釣り合いの取れないカップルが多いのかしら。」といつも言っていた。彼女曰く、多くの素敵な日本人女性が野暮なイタリア人男性と付き合っていて変だという。一概には言えないし例外もあるが、当時の私の身の回りにも本人同士解っているのかいないのか、このタイプの男性をそのまま日本人にしたらこの女性は絶対付き合わないだろうと思うようなカップルを少なからず見た。最近では日本人男性とイタリア人女性のカップルも増えたが、そのほうがカップル間ギャップは少ないように思う。


そして絶対そんなカップルにはなりたくないと慎重に相手を選んでいる様子で、その彼女が一緒になったのがマウリツィオ。確かに珍しいくらい紳士の好青年だった。


彼女たちとはその後付き合いはなくなってしまったが、このレシピはうちの自慢の定番料理として今も大活躍している。マウリツィオがもうこの世にいないのかと思うと複雑なものがあるけれど、それでも私は毎年夏になると来客にこのパスタを振る舞うことにしている。


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材料写真


<二人分材料>


 ・パスタ 160g

(オリジナルレシピはスパゲッティ、私はよくリングイーネで作る。)


・パルメザンチーズ塊で 約80-100g

(グラナ・パダーノでも代用可能。違いは文末参照)


・イタリアン パセリ 10−12本程度


・バジリコ 5−6本程度

(イタリアン パセリとバジリコの割合は2:1程度)


・レモン1個 

(一人分レモン半分が目安ですが、酸っぱいものが苦手な人には加減しましょう)


・ペペロンチーノ 12個 (大きさで加減)


・ニンニク1片


・エキストラヴァージン オリーブオイル 適量


・塩、パスタを茹でるための荒塩一握り





<作り方>


1・大きめの鍋でパスタ用のお湯を沸かし始めます。


2・その間にパルメザンチーズは mm角に切る。


3・バジリコとイタリアン パセリは洗ってみじん切りにする。


4・ペペロンチーノは手でほぐし、(その手で目を触らないように気をつけて)ニンニクはガーリックプレスで潰す。


5・2、3、4を混ぜたものに絞ったレモンを加え、オリーブオイル適量を混ぜる。


6・茹で上がった熱いパスタに混ぜ、食卓に運ぶ。




<オーガナイズの秘訣>


来客で他にも色々作らなければいけない時は半日以上前に用意をしておくことも可能です。その場合レモンだけはパスタを混ぜる1530分前くらいに混ぜます。それ以上前にレモンを加えるとバジリコとイタリアン パセリがしんなりし過ぎてしまうので。




<食材説明:本物パルメザンチーズと似ているチーズ>


イタリアのパルメザンチーズは正式名称をパルミジャーノ・レッジャーノと呼びます。つまりはエミリア地方のパルマとレッジョ・エミリアで作られるチーズという意味。


このタイプのチーズは他に若干価格の安いグラナ・パダーノも日本で見つかるはず十分代用可能です。


パルミジャーノ・レッジャーノに関しては書くことがたくさんあるので、また別の機会に詳細を書きたいと思っています。



パルミジャーノ・レッジャーノのマークとグラナ・パダーノのマーク



グラナ・パダーノはイタリア最大の平野、パダーノ平野で作られるグラノチーズ。

パルミジャーノ・レッジャーノはその一部の限られた地域で作られるチーズで、地域以外に最も大きな違いは、パルミジャーノ・レッジャーノの乳牛は生の牧草だけで飼育されているのに対して、グラナ・パダーノは干し草でもOKとされています。




グラナ・パダーノの生産地(薄緑色とその周辺)

パルミジャーノ・レッジャーノの生産地(薄黄色)

2023年7月14日金曜日

原点となったステファニアのチェーナ、レシピ本「粉砂糖」とアマトリチャーナ風パスタ

 

Photo©Kajorica



イタリア生活の最も楽しい事の一つに自宅でのチェーナ、つまりホームディナー、夕食会がある。


東京だと町が大きすぎて郊外に住む友人の家に町の反対側から行くのは大変だし、家が狭かったり、散らかっていたりで人を自宅の食事に頻繁に招待する習慣のある家庭は少ないと思う。

家での会食はイタリアの国民的楽しみと言っても過言ではなく、そんな習慣があるからこそインテリアや家具デザインも世界でも一流のものになったのだと思う。


初めてイタリアで個人宅の夕食会に呼ばれたのはステファニア・Gの家。呼ばれたと言っても本当に招待されたのはわたしではなく当時勤めていた事務所のボス。ボスとマンツーマンの小さな事務所で丁度残業をしていた私に気まぐれで「一緒に来るか?」と声をかけてくれ、嬉しくて「行く」と即答した。何しろイタリア生活を始めたばかりで知り合いも少なかった当時、個人宅に入るのは興味津々だった。人がどんなインテリアの家でどんな風に暮らしているか。在イタリア30年以上経った今でも、よほどの事情がない限り個人宅への招待は快諾することにしている。


ステファニアは当時の私のボスの親しい友人で建築家だったが、建築家としてよりお料理研究家として有名で頻繁に料理雑誌に執筆をしていた。 ミラノ中心部のサン・ロレンツォの列柱と呼ばれる古代ローマ後期の二、三世紀頃に作られた17本の大理石の列柱を見下ろす気持ちの良い最上階のアパートに住んでいて、集まった彼女の友人たちは建築家、デザイナー、木工職人などなど。大人に混ざって一人だけ同席した思春期の息子が火の玉のように何かを思いつめている様子を見た木工職人が「恋をしているんだろう」と茶化していた。


聖ロレンツォの列柱 
Photo©Kajorica



渡伊間もなかった私は、速いテンポの機知とユーモワに富んだ会話を聞きとるのに精一杯で、まるで窓の外からその食事風景を眺めているようだった。そういう状況でも、少ししか発言しない人に気を使い話しやすいように日本の話題に切り替えてくれる人も必ずいる。その後自然に溶け込めるような会話術を習得するまでには、必ずそういう人たちに助けられていた。


あえて語学能力と書かずに会話術と書いたのは、語学だけでは知らない人との会話は成立しない。いろんな分野に知識があって、相手が興味ありそうなことを素早く察知し、生真面目すぎず軽薄すぎない話ができるようにならないと、つまりそれなりの「人」にならないと初対面の人の多い会食は(そういう会食がイタリアでは多いのだが)居心地は良くならないし、周りを楽しませることもできない。そして会話術も大事だけれど、最も大事なのは話し相手に興味を持ち、知りたいと思うことではないか、と思う。


ステファニアのチェーナの話に戻ると、アンティパスト、プリモ、セコンド、と彼女がキッチンから湯気のたつ大皿を運んで来る度に来客から上がる歓声、楽しい会話の光景は今でも目に焼き付いていて、私のチェーナの原点になってしまった。あれこそが「チェーナ」なのだと。


とてもハイレベルな原点だ。辿り着こうとしても辿り着けないかもしれない原点なんてあるかしら。という高い理想からこのクチーナ・カジョリカをスタートさせていただきます。どうなることやら。。。。


ステファニア・Gの家の夕食会に行ったのは後にも先にもあれだけだったけれど、その翌年事務所を訪ねてきたステファニアに一冊の本をプレゼントされた。彼女のレシピ本「Zucchero a velo」(粉砂糖の意)の日本語訳が出版されたのだった。



日本語版と加筆されたイタリア語版



レシピ本といってもエッセイ風で人生の甘みだけでなく苦みや辛味もたっぷり入った彼女のレシピ集は、彼女の人生の折々での大事な瞬間のレシピから女友達の得意料理とそれにまつわるエピソードを交えながら書かれたもので、どれをとっても「使える」レシピが多い。

見よう見真似のカタカナで「ステファニア・ジャンノッティ」とサインした献辞 入りの本のレシピは美味しいものばかりで、イタリアでは一般的に料理本の原点とされている19世紀の美食家アルトゥージのレシピ本以上に重宝し、わたしの料理のバイブルになった。


カタカナで「ステファニア・ジャンノッティ」とサインした献辞



翻訳は今では文筆家として有名な内田洋子さん。邦題は「イタリアを食べる―人生を彩る食卓とレシピ」うーん、どうしてそうなっちゃうのかなぁ、と残念だった。「人生を彩る食卓とレシピ」という副題は良いとして「「イタリアを食べる」って。。。「イタリア」と言う言葉を入れた方が本が売れるだろうというマーケティング的考察は解るけど、ケーキの仕上げなどに軽くふりかける粉砂糖のように「私はふわりと乗っていたいから」というおくゆかしく詩的な意図でつけられた「粉砂糖」というタイトルが「イタリアを食べる」となってしまうなんて、文学的にも美学的にもあんまりだと思う。このタイトルは内田洋子さんがつけたのではなく出版社の人がつけたと、私は思いたい。


「どれをとっても”使える”レシピが多い。」と書いた後、ちょっと気になって日本のアマゾンの書評を覗いてみたら、唯一の評価に


『物語としては面白いですが、料理のレシピに関しては、作れるかなーと思うものが多い。肉料理が多く、特に素材、例えばヒツジやその臓物、子牛の膵臓、アヒルなど・・・更にチーズの多くの種類は日本では普段揃えているのは難しいかもしれません。「ナスのパルメザンチーズ焼き」はアレンジするといいかもしれません。私には少々ハードルが高いですね。』と。


。。。そうですね、そう言われてみれば、日本では揃わない食材を使ったレシピも確かに少なくありません。日本どころか、「パレルモ風イワシのパスタ」は決め手の野生のウイキョウがわたしの住んでいる北イタリアでも入手困難。不可能ではありませんが。


でもせっかく日本語で書くこのブログ、日本で入手可能な食材にアレンジする方法もご紹介するように努力しますね。


***


ステファニア・Gのアマトリチャーナパスタ


その日食べたものはみな美味しかった。プリモピアットは確かアマトリチャーナだったと朧げに記憶している。ベーコンとトマトベースのパスタで日本でいうナポリタン・スパゲッティに似ている。こちらではアマトリチャーナ、つまりアマトリーチェのパスタということになる。


アマトリーチェはラツィオ州(ローマのある州)でもどちらかと言うとアドリア海側に近い、風光明媚な山岳部の盆地で有名だったが、2016年と2017年の相次ぐ大地震で歴史的建造物にも大きな被害を受けてしまった。



アマトリーチェ


ナポリタン・スパゲッティに似ていると言うと、多分「なんだ、随分簡単な」と思う方も少なくないかも知れない。でも簡単な料理ほど食材の質、茹で加減炒め加減など全てがパーフェクトでなくてはならなくて難しいのはイタリア料理に限ったことではないはず。ですのでレシピの後に<美味しさの秘訣>をいくつも加筆しました。


<二人分材料>


・パスタ ブカティーニ 160g 

(中に穴のあいた太めのスパゲッティのようなパスタ。ない時はスパゲッティでも作る。ペンネと呼ばれるマカロニのようなパスタで作る人もいるが、アマトリチャーナはブカティーニで作るのが王道。)


・スモークベーコン40g


・普通のベーコン40g


・にんにく1片(翌朝アポのある時は入れません。または潰して丸ごと入れて香りだけつけて途中取り出します。)


・玉ねぎ 小半分


・料理用白ワイン 1カップ弱


・トマトソースまたはホールトマト 200-250g (決してケチャップなど使わないで下さい。)


・パルメザンチーズとペコリーノチーズ同量すり下ろしたもの適量 

ペコリーノチーズは入手困難ならパルメザンチーズだけでもOK、ただ、アメリカ製のパルメザンチーズではなくイタリア製のものを使って欲しい。味が全く違うから。





燻製(スモーク)ベーコンと普通のベーコン

写真は2ミリの厚さって言ったのに1ミリ強で若干不満が残る厚さです


<作り方>

1・大きめの鍋でパスタ用のお湯を沸かし始めます。


2・その間に二種のベーコンとみじん切りのニンニクと玉ねぎを小さめに刻んだもの(みじん切りよりは大きめ)をフライパンに温める。少し温まるとベーコンから脂が滲み出てくるのでその脂で玉葱とにんにくを炒める。



ちょっと玉ねぎの切り方が荒すぎだったかな



3・カリカリになり過ぎない程度に炒めたら料理用白ワインを1カップ弱加えます。ジャーという音を立てて一気にワインは蒸発します。この行程が胃にもたれない具になるのに重要です。



4・トマトソースを加え、炒め続けます。ベーコンに塩分があるので塩は加えず、胡椒は好みに応じて適量加える。


5・ソースを炒め続けながら、パスタ用のお湯が沸騰したら、荒塩一握りとパスタを放り込みます。



6・茹で上がったパスタとトマトソースを大胆に混ぜ合わせます。

量や調理用具の大きさによりフライパンや鍋の中で混ぜる人もいれはサーブ用の大皿の中で混ぜる人もいますが、熱々のパスタを食卓に運びます。



<パスタの一般的な量>

初回なので一応パスタの一般的な量について書きますと、一人前80gはイタリアのレストランの一般的な量。家庭ではパスタの量はその時の食欲に応じて変えます。私は一人の時は60から75g。来客時は一人基本80g。ただし前菜やセコンドピアットに何を用意しているか、同席者のお腹の空き具合も聞いて加減します。



<美味しさの秘訣・1>

ベーコン2種の量は合計でパスタの半分の重さにするのが目安。


内田洋子さん翻訳の「イタリアを食べる」を見ると6人分パスタ600g ベーコン300g、燻製(スモーク)ベーコン150g、コッパ(腰肉で作るハム)か普通のハム150gとあり長い間不思議でした。なぜならコッパや普通のハムをアマトリチャーナに入れるというのはどこでも食べたこともなく、どの料理研究家のレシピを見てもないし、これだとベーコン、サラミ類の量がパスタと同量になり多すぎる。。。


新しいレシピが加筆された「粉砂糖」改訂版がイタリア語で出た時に購入し疑問解決。実はそれは翻訳の誤りで、原文には ベーコン300g:燻製(スモーク)ベーコン150g、普通のベーコンまたはコッパ風ベーコン(pancetta coppata)150gとあります。つまりベーコン300gの内訳が燻製(スモーク)ベーコン半分、普通のベーコンまたはコッパ風ベーコン(pancetta coppata) 半分というのがステファニアのおすすめの食材の比率。



左がコッパ 右がコッパ風ベーコン



豚肉部分と名称 ベーコンは9、コッパは4
www.artigianidellecarni.itから画像を拝借しています。


コッパ豚肩肉の首から第4か第5リブまでの肉で作るハム。コッパ風ベーコンはコッパの周りベーコンを巻きつけ丸くしているもので、味は主にベーコン。脂肪の多いお腹の肉で作られています。




<美味しさの秘訣・2>

ベーコンは2タイプとも2mmくらいにスライスしたものを使用。薄過ぎても厚過ぎてもダメ、との事。結構大事なポイント。


イタリアだとサルメリアでもスーパーマーケットでもその時の用途に応じてスライスの厚みを変えてもらうのは普通のことですが、日本ではその場でスライスしてくれるお店は少ないかもしれません。出来合いの厚みで良しとするか、こだわる人は塊を買って自分でスライス、ということになるのでしょうか。




<美味しさの秘訣・3>

もう一つのポイントはトマトソースの量は控えめに。ステファニアによると「アマトリチャーナはベーコンがトマトソースの中に入っているのではなくトマトソースがベーコンに混ざっている」のだそうなので、レシピ本にはイタリア語の原文にもトマトの量は明記されていません。

トマトピューレまたはホールトマト 200-250gという量は好みで加減してみて下さい。写真は、夏なので生のトマトを湯むきして小さく切ってフライパンの中で潰しました。




<美味しさの秘訣・4>

ステファニアの本によるとこのレシピの注意すべきポイントはオイルはできるだけ控える事とベーコンの火の通り具合。カリカリになり過ぎないように、との事。


フライパンで熱すればベーコンの脂が出てくるので私は油は入れません。入れるならオリーブオイルを極めて少量にしましょう。




<美味しさの秘訣・5>

これは私の調理法ですが、玉ねぎをスライスするときは縦に切ります。

シンプルなトマトソースに玉ねぎを入れる時もそうですが、横に、所謂輪切り方向に切ると玉ねぎ臭いソースになります。逆に縦に切って火を通すと玉ねぎの甘みが玉ねぎの中に残ります。

このアマトリチャーナの場合は縦にスライスしたものを横に半分にだけ切っています。




2023年7月5日水曜日

No+e ページ

できるだけ多くの人に見て欲しいのでノートにも投稿することにします。

リンクはこちら

https://note.com/kajorica

クチーナ・カジョリカ ー名前の入ったレシピ集ー はじめに。Anout me






































クチーナ・カジョリカは「レシピ」とそれを教えてくれた「人たち」のお話です。


クチーナ、Cucinaとはイタリア語で料理とキッチンの両方を意味します。

カジョリカは私のこと。


自分の話をするのは苦手なのですが、第1回目に多少の自己紹介は必要なので少し書きます。


何十年もの間「物」と「空間」のデザインに関わる仕事をして来ました。

日本でしていた仕事の延長線上で2、3年海外職業経験をしてみようとデザインの都と言われるイタリアのミラノに渡り、今月で34年になります。


その間デザインの仕事も本当に沢山して来ましたが、振り返って何が自分を豊かにしてくれたかと考えると「人」と「時間」。


「物」は仕事でしてきたコンテンポラリーデザインでも、好きが高じてほぼプロになってしまったアンティークのテーブルウエアでも、日常の暮らしで高い満足感を与えてくれる大事な要素で、自他共に認める根っからの物好きですが、それでも本当に大切なのは「人」と「時間」だと思います。


このブログは「レシピ」とそれを教えてくれた「人たち」の話を通して、物作り空間作りでは伝えられないイタリアの生活と食文化の奥行きや豊かさを、誰かに伝えられればという思いで書き始めました。


インスタグラムでの画像だけのお料理の披露や、不味そうだけどキャッチーなショートリールの再生回数が爆発的な時代に、こんなスローで前時代的な企画にどれだけの人が興味を持ってくれるかは全く想像もつきませんが、人生の今この時点で一度纏めておきたい事なのです。



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レシピを読んで味を想像するのも好きだけれど、料理は誰かにご馳走してもらい、おいしかったらレシピを貰い、実際自分で作ってみて、場合によっては自分風にアレンジする、というのが美味しく楽しい料理習得への近道だと思う。


私のレシピ帳のレシピの大半には人の名前がついている。

マウロのミネストラ、マウリツィオ・ママの夏のパスタ、タミー風イワシのオーブン焼き、マルタの豚肉のロースト等など。もちろん教えてくれた人達の名前。


そしてそのレシピの一つ一つの後ろには、その人達と一緒に過ごした楽しい時間がある。


イタリア生活が書かれたエッセイは須賀敦子のものなど有名文筆家のものから小有名人やあまり知られていない人のブログまで無数にあるけれど、長年イタリアに住んでいる日本人でも色々な人がいる。日本人コミュニティーの閉じた社会の中で暮らしている人はイタリア人の友人がいないどころか、住んでる町の市長が誰か知らない人もいるし、イタリア人と結婚してしまうと、そのパートナーの社会的な位置付けで交際範囲が大きく限定されることも多い。つまり、可視不可視の階級意識の残るイタリアに住む外国人はパートナーによって社会的位置付けができて交際範囲が限定されてしまうこともあるのです。


私の場合仕事柄一個人とみなされることが多く、今は亡き映画監督エルマンノ・オルミや彫刻家のアルナルド・ポモドーロなどイタリアでは知らない人はいない超有名文化人がずらりと揃うホームディナーに招待されたことも、フィレンツェのヴェッキオ宮殿の晩餐会に出席したこともあるかと思えば、道端でジプシーに夕食を振舞ってもらったこともある。在伊の日本人は多くてもそんな経験がある人は他にいないのでは、と思う。


まあタネを明かせば超著名文化人のホームディナーはオーガナイザーの友人夫婦が土壇場になり13人だと気が付いて、「最後の晩餐」のようにならないよう縁起を担ぎ、14人目として急遽呼ばれたという経緯。

ヴェッキオ宮殿の晩餐会は仕事で会場構成のインスタレーションをしたイヴェントのオープニングディナーだった。ロングドレスを着た地元貴族もいるようなかなり正式な晩餐会だったけど。

ジプシーに「ご飯食べていく?」と言われたのはミラノ初の冬のはじめ、沁みるような寒さの霧の夜。運河沿いに停めたキャンパーで料理をしているジプシーの女性と通りがかりに目が合った時、私の視線に偏見がなかったのを感じたのだと思う。流石に一瞬躊躇したけれど、これを逃したら二度とこんなチャンスはないだろうと思ったので受けてみた。確かにそんな機会はその後一度もない。


ここに登場する人たちの中には何度一緒に食事をしたか数えきれない長年の親友もいれば、はじめからさほど親しくなく徐々に疎遠になり音信不通になってしまい、レシピをもらわなかったら思い出すことはないだろう人、親しかったけど大喧嘩をして絶交してしまった人もいる。やっぱり喧嘩してしまった人のことを思い出すときは若干後味が悪い。それでもこうして文章を書きながら振り返ると、そんな人たちも含め関わってきた人たち、食卓を共にした人たち全てが私の30年を超えるイタリア生活を豊かにしてくれた大切な財産だと思える。


だからレシピにつながるエピソードも脚色なしのイタリアの日常生活の一部を切り取ったスケッチ。私の個人的な交友関係に興味はないという方は本文は飛ばしてレシピだけ見ていただいても、もちろん結構。どれも美味しい何度食べても飽きない料理です。


ただレシピ集として内容を充実させるために、ここでは「ある人から教わったレシピ」だけでなく「ある人のために料理したもの」または「ある人に関連するもの」「このレシピと聞くとこの人を思い出す」というエピソードも加えます。


登場する人物の多くは本名か呼び名ですが、同じ名前が数人いる場合は(イタリアでは大半の名前は聖人の名前、また世代により流行の名前があるようで、世代が同じだと同じ名前の人はとても多い)苗字のイニシャルをカタカナで足すなどしています。でも一部仮名にするかもしれません。



20237月吉日







ヘッダーの写真について


オリジナル写真構図

今まで無数の会食をしてきたのに、意外と写真を撮っていなくて、表紙にふさわしいような写真が見つからない。久々に会う友人との話に夢中になって写真を撮るのをいつも忘れてしまう。


表紙に使用させて頂いた写真はミラノで活躍する建築家シルヴィオ・デ・ポンテ氏撮影の写真。

以前仕事関連の会合で一度しか会ったことがないのに写真の使用を快諾してくれたことに感謝です!

写真はシチリア、シラクーサのトッレ・フガータ城の晩餐会の様子。デ・ポンテ氏も絵画を展示した「バロック・ネオバロック」という展覧会のオープニングディナーだったとのこと。


建築家シルヴィオ・デ・ポンテ氏の事務所のサイトはこちらです。

http://www.depontestudio.com