ビーガン・ミートソースという呼び方は矛盾がありますが、所謂日本でミートソースと呼ばれるパスタソースはイタリアでは「ラグー」と呼ばれ、ここでは「ビーガン・ラグー」と言いたいのです。
ビーガン向けだから勿論ミートは使わず、お豆腐で代用したレシピですが試作してみて、ビーガンでない私が食べてもなかなか美味しいく満足感がある上、食後胃袋にかかる荷重が小さく健康にも良い感じ、伝統的な挽肉使用のラグーは2時間以上煮込むのに対し、お豆腐使用で煮込み時間20分で時短+省エネにもなり嬉しい。
元のレシピは Il Cucchiaio d’Argento )イル・クッキャイオ・ディ・アルジェント))(のサイトに掲載されていました。
イル・クッキャイオ・ディ・アルジェントは「銀のスプーン」という意味のイタリア料理のバイブル的な料理本の一つです。レシピはウエッブサイトで見つけたもので、イタリア伝統レシピが大半の紙媒体の「銀のスプーン」には掲載されていません。
以下の量は適当に我流にアレンジしています。
変更内容は主にソースの量がパスタの量に対し多めです。
簡単に普通の感想パスタで和えていますが、もちろんラザーニア、カネロニなどにも良さそう。
https://www.cucchiaio.it/ricetta/ragu-di-tofu/
ビーガンでない私がいきなり ビーガン料理を始めた経緯はレシピの後に。
<ビーガン・ラグー材料> 2人分
・パスタ 75g
・人参 8 cm程度
・セロリ 8 cm程度
・玉ねぎ 半分 (微塵切りにして、人参セロリとほぼ同量になるように)
・濃縮トマトソース 小さじ1
・トマトピューレ 200g
・木綿ごし豆腐 日本とサイズが違うので 重さで 約250g
・野菜のブイヨン 少々 <これはオリジナルレシピに私が加えました。
・赤ワイン 約80ml
*白ワインで代用可。赤ワインの方がコクがあってベター。
・オリーブオイル 適量
・塩
・胡椒
・2人用のパスタ 160g
自家製野菜のブイヨンのレシピこちら
https://note.com/kajorica/n/n9b026f6654e6
<作り方>
1・玉ねぎ、にんじん、セロリは微塵切りにして、オリーブオイルを熱したフライパンで中火で炒め、濃縮トマトソースも加えます。
2・1の作業の間に豆腐が挽き肉くらい荒さになるようにのフォークで潰し、1に加えます。
3・2を3、4分炒めたら赤ワインをふりかけ、ワインのアルコール分が飛んだらトマトピューレを加え煮込みます。水分を飛ばしながら、かつ焦げないように時々掻き回します。
4・トマトピューレを加えたタイミングで、パスタを茹でる水を火にかけ、沸騰したら粗塩を加え茹で上げます。つまりソースはパスタを茹でる水が沸騰する時間 + パスタを茹でる時間=約20分くらい煮込みます。
5・パスタが茹で上がったらソースと混ぜ、ビーガンでない人はパルメザンチーズを振りかけて頂きます。
・ソースはパスタに和える他ほかにラザーニアやカネロニなどにも使えます。
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何故ビーガンでない私がいきなり ビーガン料理のリサーチを始めたかについて。
年齢のせいもあり肉料理は近年かなり減った。さらに自分の健康、地球環境、動物愛護などを考えるとベジタリアンにはなった方が良いのでは、と時々考えるけれど、完全な転向はできていない。そんな私がなぜ何故ビーガン料理の勉強を始めたかについて書きましょう。
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去年亡くなった友人のキアラには娘と息子がいて、なんとなく、どうしているか気に掛かったていたので、クリスマスに娘のラケーレにメッセージを送った。
キアラのことはこちらに
https://note.com/kajorica/n/n7dd3c0167504
私自身、父を21の時亡くした。長く病んでいたのならそれなり心の準備もできたと思うが、不調を訴え始め1年以上医者に行かなかったので、診察を受けた時には手遅れで入院後一月半で呆気なく逝ってしまった。
それまで何の問題もなく、物事は全て自分の都合のいいように転ぶような人生を歩んでいた私には、それは空が剥がれ落ちてくるような大事件だった。
当時父は現役だったので一家は皆に愛されていた家長亡くしただけでなく、経済的な軸も失い、母は父の急な死に大混乱していて以前のしっかりした母ではなく、一年間くらいは両親を一度に失ったかのようで、その後二、三年は精神分析の本を読んで過ごした。
キアラの娘と息子はどちらも20代後半なのでもう立派な大人かも知れない、でも親の死には40代50代でも長く苦しむ人も多い。だからラケーレとエットレのことが気になっていた。
クリスマスのラケーレの返事は、「この間タマルと話して今度みんなでピザでも食べに行こうということになった。その時に来てくれたら嬉しい」という内容だった。
ラケーレと特に親しく話し込んだことはないが、キアラが私の事をよく話し私に興味を持ち検索していたのか、以前彼女の連絡先を知らなかった頃から時々フェースブックの「知り合いかも」にが現れることが多かった時期があり、単に友人の娘という以上に近しく感じる存在だった。
ピザ屋行きの企画はもちろん快諾した。楽しそうだし、あまり改まらず気軽に様子が見れそうだし。
年明けにタマルとその件に関して話したが、「ラケーレは中学時代親友だったタマルの娘のノアと弟のマティアもいる時がいいと言っているの。ヴェネツィアの大学に通っているマティアもいる時となると気長にチャンスを持つことになるかも」と言う。
そして気長に待ったピザ屋行きは3月末、憲法改正案の是非を巡る国民投票があった際に投票のためマティアがミラノに帰省した際に実現された。
同席したのはマウロ、タマルと彼らの子供ノアとマティア、ラケーレとエットレと父親であるキアラの元夫マヌスと私という二つの4人家族のキアラが空けた席に私が座ったような感じになった。
生憎一番先に着いた私とラケーレは長いテーブルの反対側に座りあまり話せなかったが、特に落ち込んでいる様子もなくノアと楽しそうに談笑していた。キアラが別居後子供達に自分のイメージを悪く植え付けていると抗議していたマヌスは息子のエットレと同じボートクラブに通い始めたという。母親がいなくなったといえマヌスはちゃんと父親として子供たちの柱になっているように見受けられ、少し安心できた。
別れ際に、ラケーレから形見分けとキアラのネックレスをひとつ貰った。包まれていたので家に帰って開けたが、翡翠に似た緑色の石のネックレスで、控えめでディテールの繊細なキアラらしいものだった。
翌日形見分けのお礼と、落ち込んでいなくて安心した、とメッセージを送ると、「またみんなで出かけたい!」という返事だった。嬉しかった。
そしていつもの私の癖がムクムクと育つ。まあもう一回くらいはピザ屋に行くのも良いが、その後ウチの食事に皆を招待するとか?などとて考えてしまう。そしたら何つくる?と。
ただ、ラケーレはビーガンなのだ。ベジタリアンではなくビーガン。ベジタリアンなら色々おもてなし料理アイデアはあるが卵もチーズもダメなビーガンとなると私のレパートリーは狭過ぎる。精進料理という手もあるがいきなり和食もどんなものだろうと、という経緯でビーガン料理スタディの最初のレシピです。
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