2025年6月27日金曜日

パプリカのパスタソースとパオラRの家に出入りする人々と再会の確率(パオラRの家のお料理VI)


このレシピはパオラRの田舎の家に今年三回目に滞在した時に作ったパスタソース。

2週間冷凍庫で眠った後、パオラGの誕生日の翌々日のランチにサーブされた。


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この「パオラRの家のお料理」をシリーズにしたのは今年のNOTEの創作大賞のフード部門が「テーマに沿ってレシピ3つ以上」という規制があったため。


料理一つ一つには、単なる作り方だけではない背景や思い出があるから、一つの投稿でレシピ3つ以上というのは難しく、必然的にシリーズ投稿になった。


パオラRからイースターに田舎の家に招待された時に色々な料理を教わり、最後に年頭から企画していたパオラGのお誕生会で6月中旬までに四回滞在した。


パオラRはお料理上手でとにかく色々作るので投稿のネタとさせてもらったが、4月に初めて滞在した時その後どんな風に人間関係が展開するのかは想像もできなかった。


パオラRの家に出入りする人々と再会の確率の話はレシピの後に。


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<材料> 6人分


・パスタ 480g


・パプリカ  大きめ4個 赤、黄混同


・玉ねぎ 玉ねぎ小1個


・生ハムの切れ端 30-40g程度

*出汁程度なのでブイヨンに変更しても可。


・オリーブオイル


・塩




<作り方>


*パオラRは全て一緒に煮込んでいた様ですが、私ならこう作る、という作り方です。


1・玉ねぎはみじん切りにし、生ハムも小さく刻みます。


2・パプリカはヘタと種を取り、1cm幅で2、3cmくらいに切っておきます。




3・全ての材料が入る大きさの鍋に少量のオリーブオイルを敷き中火で玉ねぎをしんなりするまで炒めます。


4・玉ねぎがしんなりしたら刻んだ生ハムと2のパプリカを加えさらに7、8分炒め、弱火で45分程度煮込み塩で味付けします。

パプリカが出す水分を主に煮詰めますが、焦げない程度に時々少量の水を加えます。




5・ソースが煮終わるタイミングでパスタを茹で上げ、ソースとパスタを混ぜてテーブルに運び、好みでおろしたパルメザンチーズを振りかけて頂きます。








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パオラRの家に出入りする人々と再会の確率


パオラRはちょっと面白い人を見つけると食事に招待する。私もその一人の様だ。


彼女に知り合ったのは親友のパオラGと長年の友達だからで数年前のことだが、田舎の家に泊まりがけで招待されたのは今年のイースターが初めてだった。


彼女はパートナーを失って2年も経っていないからきっと淋しいのだろうとも考えたし、田舎の家は緑いっぱいで居心地が良く、色々お料理を教われるなど利点が沢山あった他に、好奇心が強いので新しい人と知り合い、どんな人なのか探ってみるのが好きなのだ。もちろんパオラRに関しても、パオラRの家に出入りする人々に関しても。


新しい人を知るというのは未知の土地を旅することに似ているといつも思う。

大好きな街や国があるように、他の人よりソリの合う人はいるが、旅行をして後悔したことがない様に、自分と遠い人と知り合っても後悔することは稀だ。


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一回目の滞在は彼女の友人数人と過ごし心地が良かった。彼女もそう思ったのかその二週間後の連休にも招待された。


二回目の滞在はルチアと三人だったが、八人での会食もあったし、さらに食事の時間外に尋ねてきた友人もいた。皆会話を楽しめる人達だった。

八人の会食の時はジャンルイジという有名雑誌の元編集長がベルギー人の奥さんと来ていた。いかにもフリウリ地方出身という感じの細身で長身の男性だった。今はリタイアしてパオラRの田舎の家の近くに暮らしているらしい。


一回目の滞在はイースターだったので皆が一日中「ハッピーイースター」のメッセージや電話をやりとりしていた。日本の年始の挨拶のように、イタリアではクリスマスとイースターはお祝いの言葉を交換するのが習慣なのだ。


午後遅くになってパオラRの友人から電話があった。ミラノに一人で居るらしく、パオラRは翌日のイースターマンデーにミラノから日帰りで来るよう誘った。


電話を切った後「この人私より少し若いのだけど、気の毒に3年前に奥さんがプールで心臓発作を起こして急死したの。3ヶ月に一回ぐらい電話して来るのよ。」と言った。

誰かが「えー!じゃ口説かれてるのー?」と茶化したが、パオラRは結構真面目な顔で「ううん。そんなこと無い。ない。」と答えていた。

それから「この人、物理学の名誉教授なのよ。」と付け加えた。

ミラノには大学は指折り数えるほどしかないのでどこの大学か訊いてみたが「知らない。」という返事で、そんなところが彼女らしくて笑ってしまった。


私は火曜にパオラRと一緒にミラノに戻る予定だったが、それは公共交通機関がないからで、本来なら連休後の火曜は朝から超多忙。後で全速力でダッシュしなければならぬことを考えると月曜ゆっくり出来ても全くリラックスできないので少しストレスを感じていた。

なのでその晩思いついた。そのイースターマンデーに日帰りで来る人と一緒にミラノに帰れないかと。どんな人かは知らないけれど。

それを朝話してみると、「聞いてみましょう。嫌とは言わないでしょう。」との事だった。


***


マルコ教授が家に着いたのはランチの少し前頃だった。

その朝、他の人達はまたハイキングに出かけていたが、私はパオラRと家に残って庭の草むしりをしていた。


草むしりを終えてパオラRがランチの支度で台所に立っている間、私はマルコ教授とおしゃべりをした。年代測定専門の物理学者の話など聞いたことがなかったので私はほぼ好奇心の塊になって彼の専門分野に関して質問攻めにした。教授は自分の専門の話ばかりするのに戸惑いながら素人にもわかりやすい様に色々説明してくれた。


その後皆が戻りランチ。中には高校で物理と化学を教えていたアンナもいたので、話は弾んだ。

専門の話でも家族の話でも彼の控えめな人柄に好感が持てた。

娘夫婦が隣の建物に住んでいて、自分もその建物に車庫を持っているが、だからと言って会いには行かない、という丁寧に言葉を選んだ淡々とした話は、奥さんに先立たれ今一人暮らしで隣に住む娘にもっと頻繁に会いたい気持ちと、それを自制する心境を想像して少し切なくなった。距離が近いからこそ助長される孤独感なのだろう。


夕食後、ミラノまでの車中では結構楽しい話をしながら帰った。別れ際に「また会いましょう。」とマルコ教授は言った。私も「できれば近いうちに。」と出来るだけ感じ良く微笑んだが、電話番号は交換しなかった。一目惚れした若い男女なら「愛にルールは無い。」となるだろうが、日本と異なり知らない人達を混ぜる機会の多いイタリアでは好感の持てる人と知り合っても初めのうちは紹介者を通して会うのがマナーだからだ。


その時彼に再会できる可能性は53%位かな、と思ったのは楽観的だった。


53%というのは彼が私を探す確率ではなく、パオラRが彼からのメッセージを私に伝えてくれる確率という意味で。

本来40%と考えるべきだったのかも知れないが13%加算したのはパオラRに好感を持っていたからだ。


日本にいる人には想像しにくいかも知れないが、イタリアの女性は極めて嫉妬深い。恋愛関係だけでなく友人関係にも深く嫉妬する。特にシングルの女性で会話上手で社交的、多くの人に囲まれ好かれているように見える人ほど友人に対する独占欲が強く、自分が紹介した人同士が仲良くなるのを好まない。


エミもそうだった。彼女が紹介してくれた指揮者の友人からのコンサートの招待も何度も握りつぶされた。しばらくして変に思った彼の当時の奥さんが「エミが伝えていないのね。」とその後直接招待してくれるようになったが、そういう女性の狡さは男性には想像も出来ないのが常だ。彼女の学生時代の友人が私に好意を持っていたという話も1年以上経ってから聞いた。エミの場合は根が正直なので、隠し事をしている時は緊張感が漂いすぐわかったし、罪悪感を一人で抱え込む事ができず、自分が妨害した事を時効になった頃に告白するのだった。その時は腹が立ったが、当時彼女は夫と別居、離婚という人生で最低の時期を過ごしていたことを考慮すると情状酌量の余地があった。


エミのレシピはこちら

https://cucina-kajorica.blogspot.com/2023/10/blog-post_19.html


パトなどは自分が紹介した人同士が仲良くなりそうになると、真偽混同で相手を悪く言い、嘘を指摘すると激怒した。素敵な人だと憧れていたのにとても残念だった。


パトのレシピはこちら

https://cucina-kajorica.blogspot.com/2023/10/blog-post.html



マルコ教授との再会の確率は考慮すべき事柄で上下した。


パオラRには小学校二年からの親友のルチアもいるくらいだから女性の友達も大事にするだろうと考えると確率が70%まで跳ね上がり、そのルチアが「パオラは本当は男性といる方が好きなのよ。」と言っていたのを思い出して35%に下がる。

パオラRはもう75歳だから、と思うと51%に戻り、イタリア人は何歳になっても枯れないと考えると40%に下がった。

以前フェデリコ教授に「誰か同僚でいい人いないかしら?」と尋ねていたことからアカデミックな職種の男性が好きなのかと思うと30%、パートナーを失って2年も経っていないと考えると20%まで下がった。


三度目に滞在した時だからイースターから1ヶ月半ほど経った頃、パオラRが「ジャンルイジがあなたの事を洗練された女性だと言っていたわよ。」という。

「あ、そう?」とだけ返事をすると、「ジャンルイジって誰だか憶えてる?」と訊く。「あの、フリウリ出身の元編集長でしょ。」と答えると、別の誰かと、例えばマルコ教授と、勘違いしていない事を確認して安心した様子だった。


その後、カテリーナという名前が出た時、その名前をミラノに帰る車の中でマルコ教授から聞いていたので、「あ、あのマルコの友達の?」と名前を出したら、彼のことをどう思うかという質問を色々な角度からされた。かなり執拗な質問だった。私はそのまま伝えられても良いように「とても控えめで思慮深く好感が持てたし、エンパシーも持て、話をしていて楽しかった。」と素直に返事をした。その返事を聞いてパオラRは「あの人は3年前に奥さんを亡くしたのよ。」と付け加えた。


マルコ教授がパオラRに私のことを尋ねたことは明らかだった、そうでなければあんなに色々質問する理由は無い。でも彼と私を再度合わせるつもりは全くない様子だ。


再会の確率は今では、楽観的に見て3%くらいだろう。


長いイタリア生活でこういう経験は多数してきたので今更腹も立たないが、もちろん愉快ではない。一人の人間ではなく彼女の家を埋めるエキストラの様に扱うのなら、友達付き合いを求めるのもやめて欲しいと思う私は、だいぶ年上の彼女に厳し過ぎるだろうか。


とりあえず、7月の招待は辞退することにした。




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2025年6月20日金曜日

そら豆のペーストのパスタと薄皮を剥く時間について(パオラRの家のお料理V)


 この料理は食材の取り合わせとしては今年の春先に投稿したこちらと同じ。

https://cucina-kajorica.blogspot.com/2025/04/blog-post_25.html

この食材で作るパスタソースです。

この料理はパオラRの田舎の家に2度目に滞在した時、初日の夕食後に作ったもの。

先週も書いたようにパオラRは、食事が終わるとすぐにまた料理を始める。

至極簡単な料理ですが、少し手間がかかります。

時短=ベター、という時代の流れとは完全に逆行していますが、「薄皮を剥く時間について」は奥深い意味もあると思うので、その話はレシピの後に。


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<材料> 2人分


・好みの形のパスタ 160g


・そら豆鞘付きで  約600g


・ペコリーノチーズ 約150g

*入手が難しければパルメザンで代用可 パルメザンなら100g


・オリーブオイル 適量


・パスタを茹でる塩 茹で湯の1%


*塩はチーズと茹で湯の塩分だけで十分で味付けには不要。




<作り方>


1・そら豆はまず、鞘から外します。




2・取り出した豆は更に薄皮を剥きます。ここがこの料理で唯一手間のかかる部分。

*日本のそら豆で作る場合は薄皮を剥き、更に2、3分茹でることをお勧めします。




3・2と小さめに解した(または切った)チーズをブレンダーに入れ、オリーブオイルを少しずつ加えながらペースト状になったらブレンダーを止めます。

*写真ではそら豆とチーズを別々にブレンダーにかけていますが、これはブレンダーが小さいため。




4・1%の塩をした湯でパスタを茹でながら3に茹で湯を大さじ3、4杯加え味をなじませます。




5・パスタが茹で上がったら3と混ぜて出来上がり。







これは先週パプリカのソースと二種のパスタを作った時の写真






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薄皮を剥く時間について

この料理はパオラRの田舎の家に2度目に滞在した時、初日の夕食後に作ったもの。その日はまだルチアも到着していなかったのでパオラRと二人で簡単な夕食をとった。

パオラRは食事が終わるなり、お皿だけキッチンに運び、テーブルに残ったランチョンマットの上に鞘付きのそら豆をどさりと置いた。

明日の食事の支度を始めたのだ。客の私としてはただ眺めている訳にもいかず、「手伝う必要なんてないのよ。」というパオラRの言葉を聞かなかったことにして当然手伝うことにした。

ごく簡単な料理だが、そら豆の薄皮を剥く作業だけ手間がかかる。

こういう作業は一人でするより二、三人でした方が楽しい。

二人でそら豆の薄皮を剥きながら最近ポッドキャストで聞いたグイド・マリア・ブレラのインタビューの一節を思い出しパオラRにその話をしてみた。

グイド・マリア・ブレラというのはイタリアのビジネス・エグゼクティブで作家。品の良い美男でイタリア語で「輝くように」と形容される程に頭が切れる。著名人なのでインタビューは数多いと思うが私が聞いた「ワン・モア・タイム」というお気に入りのポッドキャストはインタビュアーが必ず冒頭に生まれ育った家庭環境や両親との関係、子供の頃の事を色々と訊く。インタビューを生い立ちから始めると、人は驚く程心を開き、精神分析のカウンセリングのようなインタビューになるのが面白い。

そのロングインタビューの中でグイド・マリア・ブレラは「僕はオレンジは誰かが薄皮を剥いてくれなければ食べない。僕の最初の妻もオレンジの薄皮を剥いてくれていた。」と断言した。

私はそれを聞いて「なんて甘やかされた男なんだ!」と思った。

が、彼は落ち着いた声で続けた、「何故かというと子供の頃、母がオレンジの薄皮を剥いてくれていた。それは食事が終わったら直ぐどこかに遊びに行ってしまう息子をテーブルに取り留めて、色々な会話をする時間を出来るだけ延長させる方法だったのだと思う。」と。

それから、両親を思い出した。そういえば父が八朔や夏みかん、葡萄を食べる時、母が必ずその場で根気良く薄皮を剥いていた。

母は婿取りの家庭で育った逞しい女性だった。何か問題が起きると「これをどう解決するか。」と即座に向き合う様なタイプで昭和一桁生まれの女性には珍しかったのではと思う。


専業主婦なんてとんでもない、自分の好きな物を買うのに一々夫の許可を得るなんて嫌と、もちろん家計を助ける目的と一石二鳥で平日はフルタイムで外で仕事もしていたし、料理や掃除などの基本的な家事だけでなく、裁縫、編み物は手編みも機械編みも、と何でもこなし、趣味のクラッシック音楽のコンサートにも頻繁に出かけていて「時間がもったいない」と言うのが口癖だった。

そんな多忙な主婦が果物の薄皮を剥くなどという無駄にさえ思える作業に時間を惜しまないのが長い間不思議だった。

が、グイド・マリア・ブレラの話を聞いて、もしかしたら両親も彼の母親や最初の奥さんがオレンジの薄皮を剥くことで持ったような、親密な時間を楽しんでいたのかも知れないと思えるようになった。


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