2025年4月4日金曜日

イヴォのキャベツとアンチョビのサラダとイタリア人の罪悪感と日本人の罪悪感について




サラダといってもお酒のおつまみにもなる様な一捻りあり、日本人の味覚にもとても合うお勧めサラダです。


このサラダはピエモンテ料理。ピエモンテ州には海がないのに、一時日本で大ブームになった(と聞いている)「バーニャカウダ」のようにアンチョビを使った料理が意外と多いのです。


それは昔、長い海岸線を持つ近くのリグーリア州が「ジェノバ共和国」で別の国だった時代、貴重な塩を輸入する際に、塩にかかる高額な関税を避けるため、塩の容器の上部に塩漬けのアンチョビを敷き詰めて魚と申告して関税を避けていたからだ、とフェデリコ教授が話してくれた。



ピエモンテ州の位置


このレシピは90年代勤めていた事務所のボスの友人のイヴォから教わったもの。


イヴォとイタリア人の罪悪感と日本人の罪悪感についてはレシピの後に




材料写真


<材料>         2-4人分


・キャベツ 400-500g


・アンチョビ 4-6切れ

*ここではオイル漬けのアンチョビを使用していますが塩漬けを使う場合は水でよく洗い、表面の塩を除いてから使います。


・ニンニク 1-2カケ


・イタリアンパセリ 適量


・オリーブオイル 適量


・バルサミコ酢 適量




<作り方>


1・キャベツは洗って、芯を取り、または削ぎ(芯を削ぐと言うのは日本人の裏技で、イタリア人は大抵ざっくりと取ってしまうのが普通)粗い千切りにして、バルサミコ酢を振りよく混ぜて30分以上室温で放置しシンナリさせます。


*この作業をイヴォは「お酢で”火を通す“」と説明していました。イヴォは塩も加えていましたがアンチョビに十分塩分があるので私は入れません。




2・1をシンナリさせている間にイタリアンパセリとニンニクとアンチョビを合わせてみじん切りにします。



3・1に2を混ぜ込み、味をなじませたら出来上がり。




*****


イヴォとイタリア人の罪悪感と日本人の罪悪感について


私がまだ事務所勤めでイヴォがミラノにいた頃は、時々ボスの家で一緒に食事をした。

料理を作るのは大抵名シェフを自負するイヴォだった。イヴォはアーティストでパリに移住した後もリクエストでケータリングをしていたことがあり、それをイヴォは彼の「芸術活動」の一環だと言っていた。


彼はボローニャのダムス卒業のコンセプチュアルなアーティストだった。ダムスはボローニャ大学の哲学文学部の中に作られたコースで美術、演劇、音楽などが学べたが、他のアカデミアと呼ばれる美術大学やコンセルバトリオと呼ばれる音楽大学の学習法とは大きく異なり、理論を中心に掘り下げる。


正直、ダムス出身で敬愛するほどのアーティストというのはいないが、彼に限らずダムス出身者は弁が立ち、知的で機知に富んだおしゃべりをするのには楽しい。


たったひとつしか歳は違わなかったが、勤めていた事務所のボスの友人。来て直ぐにボスを通して知り合った人が往々にそうであったように、私は彼から永遠の半人前の新参者扱いをされていた。彼より私の方がずっとキャリアを積んだ後でも。


そして何年もの間、「罪悪感について」議論を繰り返した。

最後のディスカッションは2005年グループで行ったトルコでの夏のヴァカンス中だったと記憶しているから15年以上続いたことになる。


彼は日本人には罪悪感がないと主張し、在伊年数の少なかった当時の私はイタリア人には罪悪感がないと主張した。


議論はいつも堂々巡りで、理解しあえず歯がゆい気持ちで終わったが、今考えれば当時まだ語学力不足で込み入った会話のできなかった私が白熱する話題を敢えて何度も持ち出して時間を過ごすという気遣いだったのかもしれない。


***


イタリアに少しでも住んだことのある人なら分かると思う。

渡伊して間もない頃、日本人の友人達は口を揃えて「イタリア人には罪悪感がない!」と言っていた。何しろ遅れてきても、何か失礼な事をしても、「いかに自分には罪がないか」他の誰か、他の何かのせいでそうなったのだと主張するのがイタリア人の常で、その責任回避の態度に不快感を持つ事も多かった。


一方イヴォは、ちょうど私が事務所で仕事を始めた頃、バブルの日本に遊びで長期滞在してきて「日本人には罪悪感がない!」と主張していた。彼に言わせると、日本人は遅れてきても「遅れてごめん。」と謝るだけで理由や責任がどこにあるか言い訳をしない。それは日本人に罪悪感がないからだ、と言う。


最後にディスカッションをしたトルコのヴァカンスの後になってごく簡単な事が分かった。

どちらかの国民に罪悪感がないのではなく、罪悪感を感じた時取る態度が、日本人とイタリア人では対極なのだという事。


よく考えればイタリア語では謝罪と弁解、言い逃れは同じ「scusa」という言葉で表現する。日本人にとっては謝罪と言い逃れは随分意味が違ってくる。日本人の間では言い逃れの度をこすと人間性まで疑われることもある。


そんな事を理解するのに10年以上かかるなんて、異文化理解の壁は高かった。

特に英国人のように日本と似た気質の国民ではなく対極のイタリアでは。


やっと納得してからその件について、当時もうパリに住んでいたイヴォと話した機会はなかったが、イヴォと大学時代からの親友のエミに話をしてみた。


「やっと分かったの。どちらかの国民に罪悪感がないのではなく、罪悪感を感じた時に表現する方法が、日本人とイタリア人では対極なのだと。日本人にとっては何か問題が起こった時に自分の非を認める事が一番率直な態度なの。」と。


が、それを聞いたエミは

「あーそれじゃあ、日本人って罪悪感はないのね。」

と言った。。。。


エミから教わったレシピはこちら

何日後に食べる?エミのサルデ・イン・サオール(鰯と玉ねぎのヴェネツィア風酢漬け)

https://note.com/kajorica/n/n19f96c1aca37?magazine_key=mccf01597a4cb


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