2025年10月31日金曜日

捨てないで!パルメザンチーズの皮の食べ方とエバの思い出


今日はレシピではなく食材の話です。

それも、もしかしたらイタリア人以外の多くの人が捨てている部分が食べられる。

では、どんな風に?と言う話です。


日本だと塊では高額で、パルミジャーノ・レッジャーノは粉状で売られている方が多いと思うのですが、高額の塊のパルミジャーノ・レッジャーノを買った時こそ、皮も活用したいよね。


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イタリアを代表するチーズの王様、パルミジャーノ・レッジャーノは、日本ではアメリカ経由でパルメザンチーズという名で似たようなチーズが数十年前に上陸したと思います。


正式名称はパルミジャーノ・レッジャーノ、つまりパルマとレッジョ・エミリアのチーズという意味になります。現在の生産はパルマとレッジョ・エミリアの他モデナ、ボローニャにまで及んでいます。


パルミジャーノ・レッジャーノ生産地



元々はレッジョ・エミリア県内で12世紀に生まれますが、距離的にはパルマに近かったためか、それとも発音の語呂が良いせいかレッジャーノ・パルミジャーノではなく、パルミジャーノ・レッジャーノと呼ばれるようになります。


「輸出されると名前が長すぎて後半のレッジャーノが省略されてパルミジャーノだけが残ってパルメザンになった。不当だ。」と言うのはレッジョ・エミリア出身の元ボスの主張。

ちなみに地元のパルマとレッジョ・エミリアではシンプルに「グラナ」と呼ばれる事も普通。


非常に似たグラナ・パダーノなどの各地のグラナチーズに比較して、乳牛は干し草ではなく生の草を食べなければいけない等、質を守るための基準が厳しく、価格的にも高め。


前菜として塊で食べるだけでなく、大半のパスタ料理に振りかけて食べる人も多いのです。

それもそのはず、パルミジャーノ・レッジャーノはイタリアの食品の中で最も旨味、つまり天然のグルタミン酸を多く含む食材なのだそうです。(出典失念失礼!)




パルミジャーノ・レッジャーノ1個の重さは平均40kg (37-42kg)

Photo©Sinikka Halme






パルミジャーノ・レッジャーノ倉庫

熟成月数により価格が大きく変わります。

地元の銀行ではパルミジャーノ・レッジャーノの倉庫を持っている所もあると言う話を

ボスから聞いたことがあります。

確かに24ヶ月と48ヶ月たった2年で価格が3割以上違うのは普通。

下手な投資より割りが良いかも知れません。



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ではパルメザンチーズの皮の食べ方。



先日レッジョエミリアから直送で届いた塊のパルミジャーノ・レッジャーノ。

大きめの塊なので、側面だけでなく底面の皮もついています。


PARMIGGIANO REGGIANO (パルミジャーノ・レッジャーノ)と刻印があるのが側面。

今日は下面の皮を食べることに。




<食べ方1・シンプルに焼く>


赤ワインのおつまみに何もない!という時に最高です。


1・表面加工のないフライパンを熱します。


2・先に川の外側の方を下にして(くっつきにくいので)中火よりもやや弱めの火で4分程度焼きます。焦げ過ぎないように気をつけます。





3・片面に綺麗な焼き目がついたら、もう一面も焼き目がつくまで3、4分焼きます。




*焼き上がる頃には噛み切れるくらいまで柔らかくなっているはず。





<食べ方2・リゾットに混ぜる>


1・お米をローストした後に小さく切ったパルミジャーノ・レッジャーノを混ぜ、あとは普通通りリゾットを仕上げます。出来上がりにはかなり柔らかくなっていて、味にコクが出ます。



<食べ方3・ベジタリアン・カレーの具に混ぜる>


一般論ですがイタリア人はカレーライスがあまり好きではありません。

日本人に作ってもらえば、礼儀上「美味しいね」と言ってくれますが。よく観察すると本気で美味しいと思って言っている人は極一部。


イタリアに移住して数年は理解できなかったのですが、時間が経つにつれ解るようになりました。

食材一つ一つの味を最大に活かすイタリア料理では、沢山の食材を混ぜ、沢山の香辛料を入れて、何を食べているのか分からなくなる料理の代表のようなカレーは苦手なのだと。


そんな風に私自身、味覚がイタリア化してもやっぱり日本人、時々無性にカレーライスが食べたくなります。でもお肉も買っていなくて、買いに行くのも面倒な時など、冷蔵庫で貯めていたパルミジャーノ・レッジャーノの皮のカケラをさらに小さく切って、他の具と一緒に炒め煮込むととてもコクが出て美味しくなります。


一押しです。是非お試しください。❤️


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エバの思い出


エバというのは私の元ボスのお母さん。

元ボスは勤め始めの頃、イタリアに全く身寄りのない私を何度か田舎に連れて行ってくれた。


元ボスのご両親はレッジョ・エミリアの北東約20キロくらいの小さな町の、そのまた郊外で農家を営んでいた。


エバというのはイタリアの名前で「アダムとイブ」の「イブ」のイタリア名。

人類最初の女性。その名の如く凄く素朴な人だった。


その究極の素朴さは、言う事全てが格言に聞こえる程で、私は勝手に「田舎の哲学者」と呼んでいた。


暮らしぶりも料理も究極にシンプルで、生活の原点とはこう言うものかと思ったが、食生活は豊かだった。


ボスは「うちの母は20代続いた20の料理しか作らない。」とまで言っていた。


彼女にとって「パスタ」とは、市販の乾燥パスタではなく、その都度小麦粉と卵を混ぜて練った手打ち麺のことを指していた。


ワインはいつも自家製だった。


野菜も大半は自家製。イースターにトマトが出た時だけ「この地方ではまだ季節じゃないからこれは南イタリア産ね。」と注釈がついた。

ハウス栽培の野菜など、言語道断なのだ。


野菜の畑の他に、庭にはいつも放し飼いの鶏が遊んでいた。

家の裏には豚小屋もあった。


季節によりその動物たちは料理されてテーブルの大皿の上に乗った。


元ボスは豚のことを「究極のエコ・マシーン」と呼んでいた。

いらないものや余物を全部食べて美味しい肉になるからだと言う。


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多分私はエバが初めて会った日本人だと思う。もしかしたら初めて見た東洋人かも知れない。


それでも、気を使い、まだイタリア語が片言しか話せない私と共通の話題を見つけようと

「日本語で1、2、3ってどう書くの?」と聞く。

「こう書く。」と紙に「一、二、三」と書くと、

眉を顰めて「それじゃあ、同じじゃないの。」と言う。

「?」と一瞬考えるとテーブルで対面ではなく角に座っていた為、彼女の側から見たら

ローマ数字の「I、II、III」に見えたのだった。


無茶面白い人だったのでもっと彼女の事、思い出したらまた書きます。


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それまで捨てていたパルミジャーノ・レッジャーノの皮を初めて食べたのは、そのボスの実家に1回目か2回目のクリスマスに招待された時のことだったと思う。


クリスマスの翌日ストーブの上にパルミジャーノ・レッジャーノの皮が置かれていた。


食べごろに柔らかくなった時、エバがちょっとふざけた感じで、躍り上がるように

「誰が食べるー?!」

と言った。


ボスは、本当は彼が欲しかったのかも知れないが、大人らしく客の私にあげるようにと、落ち着いた声で言った。


が、エバのその言い方から、子供の頃は7つ上のお兄さんとで奪い合いだったのだろうと簡単に想像できた。


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2025年10月26日日曜日

オクラのマヨネーズ焼きとクネアツの次世代



先週末久々にクネアツに行って、次世代の若者たちに混ざって食べたオクラのマヨネーズ焼き。

NHKみんなのきょうの料理」のサイトに掲載されていた超簡単料理です。


https://www.kyounoryouri.jp/recipe/15998_オクラのピリ辛マヨネーズ焼き.html


クチーナ・カジョリカでは今までイタリア料理ばかり投稿してきましたが、この料理クネアツの次世代

の若者たちに好評だったので投稿しちゃいます。


オクラはイタリア語でもOKURAと呼ばれメルシェのアフリカ人や東南アジア人の屋台、またはエスニック食材屋で売られています。スーパーマーケットで見つかるほどはメジャーではありません。

イタリア起源の言葉では「K」という文字は使わないので名前からしてとても異国的な感じがします。


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<材料> 二人分


・オクラ 16-18本


・マヨネーズ 大さじ3杯程度


・粉末唐辛子 (または七味唐辛子)*省略可



<作り方>


1・オクラはよく洗い、布巾で水気を切ります。



2・ヘタの硬い部分をナイフで切り取ります。

*そうすると、焼いてから丸ごと食べられます。


3・2のオクラにマヨネーズを絡めます。



4・クネアツで作った時は多く見えるように丸いオーブン皿に放射状に並べました。

量が多ければ横に数列に並べるなど工夫してみて下さい。

マヨネーズには油分も塩分もあるので、油も塩も加えずにそのまま焼きます。



5・送風モード(事前にオーブンを温めず使用可能)のオーブンで25分程度、

あらかじめ180度に温めたオーブンなら15−20分程度焼きます。


*「きょうの料理」では七味唐辛子をかける事を推奨していますが、なくても美味。

クネアツではチリ産のスモークの粉末ペペロンチーノをかけたい人だけかける、としました。










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オクラのマヨネーズ焼きとクネアツの次世代


先週末久々にパオラGから週末クネアツに行かないかという誘いが入った。

クネアツ、パオラGがセカンドハウスを持つ標高2000mの集落だ。


クネアツの概要はこちらで:

https://note.com/kajorica/n/n884385510971?magazine_key=m22cc05a4c075


招待を受けた時、何となく億劫だったがやはり山に行くのは気持ちがいい。特にキアラが亡くなってからしばらく悶々としていたので少し山の空気を吸ってくることにする。


10月はローシーズンでロープウェイは名目上メンテナンスの為止まっている。そのため駐車場のあるシャンポルックから登らなければならない。身軽なら大した標高差ではないが、クネアツにはお店などは無いので料理の食材なども背負って登ることになる。


近所の人と皆で食事をするのなら数人分の見栄えの良い料理の食材の準備も必要なので「何人?」と尋ねると「私たち二人だけ。」という返事。パオラGは食にあまりこだわりがないので適当に食べるだけなら手抜き料理で良い。

というわけで適当な野菜と果物の他、重いものは避けてと軽くて珍しいオクラを近所のエスニック食材店で二掴みほど買う。


往路の車の中でパオラGは「上の家のナンダの息子トマーゾがフィアンセと来ているはず。彼女の誕生日だとか。他に彼らの友達も大勢いるはずだけど世代が違うから一緒に食事はしないはず。」と言う。

それから車の中から「何か足りない物があったら買って行くけど?」とトマーゾに電話すると、来る予定だった友達は減って3人。足りないものも何もない、との事。


最近山登りしていない上、今年は自転車の走行距離も少ないので運動不足気味。いつも以上に息を切らせてクネアツに到着したのは午後3時を回っていた。


ワインを飲みながらフルーツとチーズで軽い昼食をとり、昼寝して起きるとトマーゾからの夕食の招待があって今晩は15人で食事だという。


クネアツには家が20軒程度で大半の家はこの時期家主不在。
最寄りの町から登るにもロープウェイのない季節夕食のために登って下るなんてそんなに簡単な事ではない。
3人と言っていたのに15人、他の人達はどこから来るの?」と聞くとクネアツ生まれの牛飼のマリオの長男と末娘が家族で来ているので招待したのだという。

クネアツは過疎化が進み、最後に残った兄弟のマリオとアレハンドロの兄弟も高齢になり、今では谷間の町に移住し、夏時々クネアツに登ってくる程度。
通年住んでいるのはアレハンドロの娘が一家で山小屋を経営しているだけ。

そういう展開で土曜の夜にこのオクラのマヨネーズ焼きを作った。二人で食べるつもりでエスニック食材店で二掴み買ったオクラは数えたら18本。一人1本のお味見程度だけど、人数分あるだけでも幸運。
少ないオクラが多く見えるようにオーブン皿に放射状に並べて焼き持って行くとマルティーナが「これなあに?」と。皆オクラを見るのは初めて。「アジアの野菜でオクラと言って。。」と説明すると「野菜?イワシか何かかと思った。」と言うので笑ってしまった。味は極めて好評。

土曜の夕食だけでなく日曜のランチもトマーゾとフィアンセのマルティーナ、マリオの長男と末娘とその家族、私たちの他に、ミラノのビオラの演奏者で音楽家クラウディオの娘もいて、皆育った環境も、暮らす環境も、仕事も全く違うのに本当に楽しそうに話している。
マリオの長男は子供の頃まだ村の各家庭にお湯もなかった頃、ガズボンベを背負って山を登ってくるパオラGにひどく驚いたのだという。山間の小さな村で育った子供にとってパオラGはほぼ火星人に見えたのではないか、と想像してしまう。

それから以前フランチェスカと山に行き地元の牛飼いのチーズを買いに行った時のことを思い出した。フランチェスカはその牛飼いとチーズを買うための最低限の言葉しか交わしていないのに、軽く軽蔑するようなトーンで「こんな僻地で学校にも行かずに一生過ごすなんて。」と、言った。それを聞いた時、それまで持っていたフランチェスカへの好感が圧力鍋のバルブを持ち上げた時のように、大きくしぼんだ感じがした。

帰りの車の中で、彼らクネアツの次世代に元気をもらったような気分で、社会的な地位などで人を色眼鏡で見る事なく仲良くて、すごく好感が持てた、とパオラGに話してみたら、パオラGはいつものスポーティブな軽い笑顔で「彼らは一緒に育ったようなものだから。」と言った。

パオラGの娘達が小さかった頃は毎夏、約三か月もある長いイタリアの夏休み、マリオの牛舎に娘たちを預け、牛の乳搾りを始め、色々な牛の放牧の仕事やチーズ作りを手伝って育ったと聞いた事がある。

その後長女のサラは農学部に進み、地球温暖化の研究で博士号をとった。次女のルチアは獣医になる勉強をし現在は製薬研究をしている。
二人とも学術論文を数十と執筆している学者だが、出発はそんなシンプルで純粋な環境からきているのだろう。




クネアツに登る途中小さくマッターホルンが見える(一番奥)