2024年4月12日金曜日

簡単妙味、お酒のおつまみにも最適!セージとアンチョビのフライとピエルパオロの夏の家

ミラノの街は桜が散ったと思ったら藤の花が咲き乱れています。

そう、日本の北国のように春の花がほぼ一斉に咲くのです。

さらに新緑も吹き出してもうすっかり春たけなわという感じ。


ここ一週間程和食ばかり食べていて、イタリアンのレシピを投稿する気分ではなく、今週は何のレシピについて書こうか困っていました。

簡単なお肉料理にしようかとも思いましたが、あまりお肉も食べたくない。。。


今年は春先たくさん雨が降ったせいか緑が豊富、と、ふとキッチンの窓に目を向けると香草、特にセージとイタリアンパセリが超元気で「食べてくれ」と言わんばかりにフサフサ。

育ちすぎてキッチンの窓を覆い、ちょっと暗くなって困る程。




そこで思い出したのが以前よく作ったセージとアンチョビのフライの前菜。

昔料理本で見たサルビアとアンチョビのフライを我流にアレンジしたもの。


色々な人に出したなぁ。


昔、ロンドンの日本人の同業の友人カップルに作ったら 気に入ってくれて、自分たちでも作ろうとセージを鉢植えで育てたけど生えてきた新芽が可愛い過ぎて、可哀想で摘めない、、、などと言っていました。。。。。(笑)


昔の同僚のピエルパオロが大好きだった。。。

なので、レシピの後に昔ピエルパオロの両親の夏の家に招待された時のことを少し書きます。



葉っぱを選ぶのに窓からシンクに下ろしてみたら、より大きく見えるセージ。

材料はこれとアンチョビオイル漬けと卵だけ。



<材料 10個分 前菜として2人分程度>


・セージの葉(あまり大きすぎないもの) 20枚


・アンチョビオイル漬け 大き目なら5切れ、小さめなら10切れ


・卵 大きめ1個


・揚油   揚げ油は今回はピーナッツオイルを使いました。

エキストラバージンでないオリーブオイルでも良いと思います。

エキストラバージンオリーブオイルは揚げ物には向きません。


<作り方>


1・セージの葉は2枚ずつ使うので、ペアでほぼ同じ大きさになるように葉を摘み、洗い、よく水気を拭き取ります。



2・アンチョビオイル漬け 大き目なら半分に切り、小さめならそのまま使います。


3・2枚のセージの葉の間に2のアンチョビを1つ挟んでいきます。


4・鍋に揚げ油を熱します。


5・4の温度が上がるのを待つ間に卵を溶きほぐしておきます。

*アンチョビオイル漬けが塩っぱいので、卵にお塩は入れません。


6・揚げ油が適当な温度になったら、3のセージとアンチョビのサンドイッチを5の溶き卵にサッと潜らせ、揚げます。


7・卵に火が通り、薄ーく焼き色がつく程度で出来上がり。


8・油をよく切って熱いうちにサーブします。




久々に作ったけど、ああ美味しい。。。。



*昔、雑誌か本で見たオリジナルのレシピは普通のカツのように、セージとアンチョビのサンドイッチを小麦粉>溶き卵>パン粉という本格的な衣をつけて揚げるものでした。


その方法はきっと庭に大きな葉をつけるセージを持っている人にいいのだと思います。が、バルコニーの小さな鉢で育てたり、スーパーやメルシェで売っているような生のセージの葉は小さいので、衣が重すぎて、衣のカツのようになりかねません。そこで、バランスを取るため卵だけで揚げるようアレンジし、それが好評です。そして手間も省けます。


*以前サワヤ&モローニというデザイン家具のブランドのパーティーでアンチョビを入れずにセージの葉だけに小麦粉>溶き卵>パン粉という本格的な衣で揚げたものが出たことがあります。

それはそれで、シンプルでいいかも。




*****


このフライが大好きだったピエルパオロは昔勤めていた事務所の後輩だった。

彼の両親の夏の別荘に一週間滞在させてもらったことがある。


***


ある夏「今年の夏は僕の両親の夏の家に来ない?」とシャイに誘ってくれたが最初の年は行かなかった。

行きたくなかったのではなくて、まだ日本人度の高かった私は、恋人でもない同僚の両親の別荘に一週間も滞在する、と考えただけで気が重かった。


私自身の母が「あの人はお行儀が悪い」「あの人は常識がない」とジャッジの厳しい人だったので、世間の母親というものは皆そんなものだと思っていた。実はそうではないのだけれど。

だからジャッジされる側に回るのはあまり気が進まなかっただけだ。


もう一つの理由は、当時は誰かが誘ってくれたらその招待は常に有効だと思っていた。


そうではないと分かったのは、その後ピエルパオロに彼女ができた時。その年は当然のことながら誘ってくれなかった。当たり前だ。(笑)やっぱり、彼女ができる前に招待を受けておいた方がよかったかな、と思った。


そして、その翌年二人は別れ、夏前にまたご両親の夏の家に誘ってくれた時は、次の彼女が出来る前に行っておこう、と快諾した。


というか、それ以来、ピエルパオロに限らず、誰かが誘ってくれたら即快諾、と方針を変えた。

招待は一度断ったら、もう誘ってくれないかも、と考えた方が正しい。


***


ピエルパオロのお父さんは南イタリアのプーリア州ターラントのお医者さん。


ご両親の夏の家はターラントからそう遠くないビーチリゾート地にあった。

きちんと区画された別荘地で全体が壁で囲まれているのは防犯のため。

盗難の酷い例では、バスルームのタイルまで剥がして持っていく泥棒もいるらしい。


イタリアは国が海岸での営業権を激安で貸し出しているため、海の家がオーガナイズしたビーチパラソルとデッキチェアの並ぶビーチが多く、そういう海が窮屈で、海に来てまで都会にいるみたいで嫌いな私を、ピエルパオロは何もない砂浜だけの海岸に毎日のように連れて行ってくれた。


弁護士のお姉さんは、シャイでおっとりしたピエルパオロと正反対でプールに行ったら40-50往復泳いでしまうような活発な人で早口で喋る。信じられないが、連日徹夜に近いハードワークをしていても週末にドバイのディスコに飛行機で飛んで徹夜で踊るとか言っていたのは本当だそうだ。


でも何よりも印象的だったのはお料理上手のお母さん。結婚して南イタリアに住んでいるが出身は北イタリアのモデナ。お父さんがモデナ大学の医学部在学中に知り合ったのだそうだ。


モデナのあるエミリア地方はパルメザンチーズやパルマの生ハム、ボローニアのラグー、つまり有名なミートソースなどで知られるように動物性タンパク質を多用した名物料理が多い。

一方移住したプーリア地方は野菜や海の幸をふんだんに使う料理が多い。

その二つの異なる料理を両方完璧にマスターしているのだからレパートリーは凄いものになる。


一週間の滞在でメモをとったレシピは、ちょっとした小冊子くらいになった。


そちらも、徐々に投稿していきます。


今アルバムを見返してみたがなぜかあの夏の写真は見つからない。


***


その後ピエルパオロには新たな彼女ができ、結婚し、双子が生まれた。


子供がまだ小さかった頃、その双子が交代で夜泣きするのだとこぼしていた。


そして「恐ろしい夢を見たんだ。」という。

どんな夢かと尋ねると


「腕に抱いていた双子の娘を窓から投げ捨てる夢だった。」と


たとえ夢の中でも子供を窓から捨てるなんて考えたなんて、恐ろしい自責の念に駆られるだろうと想像し「それは怖い」と同意したが、彼は続けた。


「捨てたのに、捨てた双子の娘がヨーヨーのように腕に戻ってきて離れないんだ。恐ろしかった。。。」と。


子供を窓から捨てると考えた自分が恐ろしいのではなく、子供から離れられないのが恐ろしかったのだそうだ。


父親ってこんなものなの?(笑)



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